「鐘の音」   和尚の一口話    南無観世音菩薩
                  
庄野八郎作・渋紙の彫り絵 
                       1999年2月1日
    
                                         
       第一話  ・・・木と 水と 土と  

 人間も大自然の生態系の中にあってはヒトという一つの生き
 物である。三千万種の地球の生き物それぞれが互いに他の命
 によって支えられ、生きている、ヒトも一つの種にすぎない。


 北海道の森に長年生活されている方が、「森に生きる」という本を自費出版されました。当初は新聞に連載されたものを新聞社が本にして出版することになっていましたが、「森」という字で著者と新聞社との間で意見が一致しなかったため、自費出版になりました。
 「森」という字は木を三つ書きますが、著者は長年森に住んでいると、という字は、

木と水と土と書いたでなければ、本当の森の姿を現した字ではないという。当用漢字にそんな字はないので、木を三つ書く字を使わない限り、出版できないということだったのです。

 森が生まれて三億年、地球上の一割が森で、そこに全生物の九割が住んでいる、森は生命の集合体といえます。
木と水と土との間であらゆる生命が育まれる、森では無数の生命の生と死が繰り返されており、一刻も同じ姿はない。

 長い人類の歴史の殆どを占める旧石器時代においては、人間も自然に順応した生物でありましたが、自然を破壊し環境を悪化させることで人間は進化してきた。


 
自然界に存在するもののすべてが、人間によって利用されるものだという、一方的な主張をまかりとおしてきた。人間も所詮自然の一部なのに、他の無数の生命を絶滅させることで、現在の繁栄と豊かさを築いてきた。

 ほんの四、五十年前まで、森は人々の日常生活とも密接に関係していた。人間によって利用されるものという論理は森に対しても同で、不用な木々は伐採され、利用されるべき木々の苗木が植えられた。
 高度経済成長とともに、金になるものが良いものだという価値観のもとでは、木は材木とみなされ、生命という木の姿は人々の目にとまらなくなった。

 草一本、木一本も命であり、一つ一つの生命は繋がっているから、どうでもいい命など地球上にはない、生態系とはこういう生命の連鎖です、どの一つの鎖が抜け落ちても生態系に穴があき、とりかえしのつかない結果をうむ。人間も大自然の生態系の中にあってはヒトという一つの生き物である。三千万種の地球の生き物それぞれが互いに他の命によって支えられ、生きている、ヒトも一つの存在にすぎない。


 
現代人は人と人のみならず、親と子の絆も弱くなっています、人と自然界の生き物とのつながりはもっと危険な状態にある。
 人は自然と悠然と対話し、自然環境の保全に努力せねばらない。
 「森に生きる」
の著者が森という字を木を三つ書かずに、水と土と書くことにこだわるのは、森から人間への警鐘を鳴らしているからでしょう。


   心なき 草木も今日は しぼむなり
         目に見たる人 愁えざらめや
 
 
道元禅師

 草木は心のないものというが、今日はすっかり生気を失い萎えしぼんでしまった、
世の中の本当の道理を見極めた人は、草や木の心を知るから、これを憂い心いためている。仏の慈悲はすべてのもののために悲しみ、これを救う。
  
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