第117話  2008年10月1日

欲に目見えず

つかみ取り、奪い取ろうと思う手を、合わす手に変えてみましょう
                

粒々辛苦


 農薬やカビなどに汚染されて、食用には適さなくなった米のことを事故米というそうです。米粉加工業者による事故米不正転売事件は大きな波紋をなげかけています。
 農水省は流通先リストを公表しました。酒類、菓子類という食品加工関係のほか、外食産業も含まれ、また、殺虫剤やカビに汚染された輸入米が、直接米食として、福祉施設や医療施設向けの給食にも使われていたことがわかり、食の不安がますます広がっています。

 事故米の不正転売事件はまだまだ波紋が拡がりそうですが、事件の本質は輸入米にあるようです。米の輸入自由化の先送りの代償として日本政府は要りもしない米を買い続けているのです。その米は消費者も買ってくれません。そういう状況の中で、事件は起きたのでしょう。

 この事故米が工業用原料として1キロ平均10円程度の安値で業者に売り渡され、末端では食用として2〜30倍の価格で販売されているのです。組織ぐるみでつじつま合わせをして、業者の利ざや稼ぎの温床になっていたようです。農水省はそうした偽装工作を見抜けず、各地の出先機関も不正防止を怠っていたのです。

 「粒々辛苦」という言葉がありますが、穀物の一粒一粒は苦労と努力の結晶です。  日本でとれるお米は農家の方の辛く苦しい努力の積み重ねによるから美味しいのであり、そして安全なお米が生産されているのです。
 こうした事故米の不正転売事件に関わった米粉加工業者や農水省の職員は、自らお米の生産にたずさわった経験があるのでしょうか。

悪事身にかえる

 食品の産地や賞味期限などに嘘の表示をする業者が多く摘発されました。そして食品の偽装問題は次々と後を絶たずおこっています。農薬混入のギョウザの悪夢が消えたら、今度はメラミン混入の乳製品が問題となっています。食糧自給率の低い日本では、輸入食品の安全性が問われています。

 食品の産地や賞味期限などに嘘の表示をすることも、事故米の不正転売事件も、中国からの危険物の入った輸入食品の問題等、国の内外を問わず悪徳な商行為が続発しています。バレなければ大丈夫だということで「欲に目見えず」で、欲望のために理性がなくなり、善悪の判断がつかなくなってしまったのでしょう。

 「悪をすれば淵にいる」といいますが、悪いことをすれば一時は栄えることができても、いつかは不幸の淵に沈んで再起できぬことになります。老舗料亭では客が食べ残したものを別の客に出していた、その老舗の料亭は顧客の信頼を失って、とうとう閉店をよぎなくされてしまいました。いずこの国でも「悪事身にかえる」で、悪行は他人に知られずにすんだとしても、やがて我が身にはね返ってくるものです。

 「利によって行えば怨み多し」 自分の利益ばかり考えて行動すれば、他人の恨みを買うから注意せねばなりません。そして、現代人は味を見分ける感覚が衰えてきているのか、ホンマモンを見抜く力が弱くなっているためか、消費する側にも問題がないとはいえないのでしょう。

煩悩の犬は追えども去らず

 食品の偽装のみならず、教育の場でも偽装がおこなわれていました。大分県では教員採用をめぐっての汚職が発覚したのです。県教育委員会は2008年度試験で不正合格と判定した教員20人について、6人の採用を取り消し14人の自主退職を認めるという処遇をしましたが、不正な点数操作で不合格にされた受験者については、希望すれば正規教員として10月以降に採用するということになったのです。

 不正な行為により教員採用となったこの事件ですが、現役の教員が自分の子供を教員として採用してもらえるように金品を渡して便宜を図ってくれとはたらきかけていたというから驚きです。また教員が自分の昇進のために賄賂を使っていたというのです。
 教育に関わるものがおこした不祥事ですから、社会に与える衝撃はとても大きいものでした。

 ちかごろの子供達の会話では、まず「嘘(うそ)〜?」と疑問符をつけたがり、そして「信じられな〜い!」という言葉をよく使います。自分たちの先生がある日突然に退職や担任から外れると告げられたのです。先生も商品券を渡したのですか?子供達は信頼していた先生に裏切られたのです。「うそ〜」「信じられな〜い」という普段使っている言葉通り信じられないニュースが、子供達の大きな深い心の傷になりました。

 不正合格教員とされた先生で退職願いを出した人もいるようですが、臨時講師であっても教壇に立ち続けたいと希望された方もいたとか・・。自分の知らないところで起きた不正であったとすれば、納得がいかないのも当然かもしれません。
 真実に生きることを教える教育の場で、善悪の判断がまだ十分にできない年齢の子供達に不信感を与えてしまったのです。大人達の醜態を猛省し、真実を隠さず子供達に知らしめ、信頼関係を取り戻さなければ、正しい生き方を教えられないでしょう。

他を生かそう、己の幸せは他を利する願いから

 アメリカではサブプライムローンの焦げ付き問題に関連する金融取引の破綻に端を発した金融不安が一気に加速し、世界的な金融不安へと、その波が広がっています。米証券大手の経営破綻に続き、行き詰まり破綻をまねきかねない企業が続発すれば、アメリカ発の世界的金融恐慌を引き起こすことから、米国政府は公的資金投入という政治的意思を示しました。また金融機関の淘汰を加速させて、早期の金融危機克服を目指す姿勢をも打ち出しました。

 経営不振に陥った大手金融機関の処理をめぐり、金融市場の混乱や取引先の連鎖倒産など重大な影響が予想されることから、公的資金を投入して救済を図る手法を米国政府はとったのです。日本では90年代後半、バブル崩壊後の不良債権処理に苦しんでいた大手銀行の経営安定化のため、公的資金の注入が行われました。個別企業に対する特例的な救済法であり、世論の強い批判を浴びたものでした。

 米国大手金融企業が経営不信に陥っていることから、日本の金融機関がアメリカの大手証券会社の株を取得して取締役を派遣するなど、米金融危機は邦銀をも巻き込んだ世界レベルでの金融再編に発展してきました。
 今や世界の金融市場はハイリスクの金融商品が取引の多くを占めるようになりましたが、人類の幸せとか平和とか、とは全く次元のちがうところでの金融取引が地球を急速度に駆け巡る時代になってしまったのです。

 食品の偽装や食の安全の問題、教育の場での不正、ハイリスクの金融取引から生じる金融破綻、こうした出来事に共通することは、いずれにも利他の精神が認められないということです。
「 自らが救われたいという願いがあるのならば、まず他を救わんとする願いをおこすことです。自らを生かそうとするならば、他と共に生きることです。他を生かさずして、自らを生かすことはできない。」これは人類にとって普遍的なことです。
 生かされ生かしあうことに感謝して、つかみ取り、奪い取ろうと思う手を、合わす手に変えてみましょう。あたたかな人の情けや思いやりの心「いただきます、ありがとう」の精神なくして人類の幸せも平和もありません。

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