第118話   2008年11月1日


体露金風

一僧が雲門禅師に、樹凋(しぼ)み葉落つる時如何と問うた
雲門は体露金風と答えた  碧巌録

                


白雲自ずから去来

 今年は良寛のご生誕250年にあたる。それを記念して良寛の遺墨や絵画の展覧会が各地で開かれています。川端康成は良寛の書や人柄にひかれた一人で、良寛の書を多く収集し、画家の安田靭彦は良寛を画いています。滋賀県にある美術館でもこの秋、良寛生誕250年を記念して川端康成が所蔵していた良寛の書と、良寛を画いた安田靭彦の絵の展覧会がありました。

 良寛は江戸時代の中ほど1758年に越後の国、出雲崎に生まれた。18歳で出家、22歳の時、備中(岡山県)の玉島の円通寺で12年間修行し、34歳で円通寺を出て諸国を遍歴(この間の遍歴先は不詳)39歳の時、越後に帰り、74歳で亡くなるまで越後で暮らしました。
 越後に帰った良寛は住む家とてなく、無住庵をさがして住み、托鉢して日々の生活を支えていました。やがて国上山の五合庵に居をかまえ、ここで約十年住んでいたようです。

 良寛は曹洞宗のお坊さんですが、教団の記録にもその名が残されていないということです。一寺院の住職になる気がなかったので、住職となるための資格要件の収得をされなかったのでしょう。良寛は禅僧でありながら和尚ともよばれず、寺も持たず、弟子も持たず、書の達人と伝えられていますが、その真筆には印判がありません。
 良寛は歌詠みの歌、書家の書、料理人の料理は嫌いであったそうですから、僧でありながら和尚と呼ばれたくなかったのでしょう。お寺に住まうこともなく和尚と呼ばれることもなかった良寛が、なぜ人々にお坊さんらしく感じられていたのでしょうか。

 33歳の時、円通寺の国仙和尚から悟りの印可証明を受けました。良寛という名は国仙和尚の印可証明の偈(漢詩)からそう名乗ったようです。
 良寛の遺墨や漢詩、歌を後世の人が読み味わうと心打つものが沢山あります。良寛が求め続けたものに、そしてその姿勢に現代人は心ひかれ、全国に良寛会という組織もつくられ良寛の生き方を学ぼうとする人も多いようです。
 良寛は無欲で清貧の人だと語られます。貧乏人の良寛の書が今や高価で売り買いされていますが、今生きていたらお金に困ることもないでしょう、良寛の書には人間の持つ邪心というものが微塵も感じられないばかりか、清らかな美しさがあるから人々の心を打つのでしょう。


知足は第一の富

 良寛は仕事をして収入を得るということはなく、書を高く売ってお金を稼ぐということも、書や学問を教えて生活の糧としたこともなかったようです。檀家さんがあって生活が保障されていたということもなかったようです。責任あるお寺の住職でもなく、扶養する家族もなく、自分一人の身であるから、姉弟親戚のつきあいはあっても、身一つが生きていければよかったのでしょう、気楽な日暮らしをされていたという印象です。

 良寛の持ち物は一人住まいの身の回り必需品と書物と紙、筆、硯、そして粗末な法衣でした。しかし当時の庶民の生活ぶりも衣食住ともに貧乏人の良寛とあまりかわらなかったと思われます。今日の飽食の時代では一汁一菜、二菜は粗食でしょうが、その当時は三度の食事さえ十分でなく、食料が満ち足りていた時代ではありませんでした。
 株価の騰落に一喜一憂することもなく、柴、米、油、塩、醤、酢、茶、日々の暮らしの最少の物品あれば十分で、良寛も日々身を立つるに乞食袋の三升の米と炉のそばの薪一把があればよかったようです。

 アメリカでの金融破綻があっというまに全世界に経済不安を引き起こしました。人間社会のゆらぎ現象はしばらくおさまらないでしょう。混沌の時代ですから、良寛にならって清貧という言葉をあてはめて人の生き方を理解しょうとする人も多くなるでしょう。だが、ありあまるほどに物の豊かな時代に住む現代の日本人にとっては、どうしてもうわべの視点になりがちで、現代人の生活ぶりを云々する域を出ないでしょう。
 はたして良寛は俗世の塵に心うごかすことも終生なかったのでしょうか。清は貧の徹底したところ清浄の域であるから、清貧といってもそれは食べ物や物の豊かさ、贅沢に対して質素であるというよりも、心清らかに生きる、生き方に知足の精神がこめられているかどうかということでしょう。貧に身を置く生活にしてはじめて清浄の心の域を得ることができるのでしょう。

 清貧とは貧乏生活を余裕をもって楽しむことをいうのでしょうか。「足ることを知る者は、身貧しけれども心富む。得ることを貪るものは、身富めども心貧し」物への執着をあらわにする金持ちの暮らしは、迷いが多い。物に執着しない貧乏暮らしは貧困であっても心が広くゆったりとして常に安らかである。
 足を知って貧にして楽しむ、貧ほど深き隠れ家はなし、貧しい生活をしていると訪ねてくる人もない、良寛の五合庵に勝るこれ以上の隠れ家はないということでしょう。
 良寛の慕う国仙和尚の向こうに道元禅師がおられたのでしょう。永平寺開闢当時の道元禅師は京の都から遠く離れた深山幽谷の雪深い草庵に坐しておられた。良寛もこれにならって草庵を住まいとされていたのでしょう。五合庵は人里の近くであるが、人間味あふれる、求道者のひたむきな生き方が時代を超えて人々の心にひびくのでしょう。

無位の真人             

「この岡の 秋萩すすき手折りもて 三世の仏に たてまつらばや」  
良寛は托鉢の道すがら、野辺に咲く花に心おどらせ思わず歩みを止めた。野の花の美しさに思わず仏にささげたいと思われたのでしょう。
「夏草は 心のままにしげりけり われいほりせむ これの庵に」
良寛は静かさの中に安住の居を構えて心おだやかな日々を楽しんでおられました。

 「うちつけに死なば死なずてながらえて、 かかる憂き目をみるわびしさ、しかし災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
 こんなに長生きしたばかりに大地震に遭ってしまった、良寛は71歳の時、越後三条を大地震が襲いました。死者千六百余人という大惨事であったという、災難にあうときにはあうほかはなく、死ぬときは死ぬよりほかはありません。怖がってもしかたなく、嘆かず慌てず逃げず、あるがままに受けとめ、その時々に精一杯に生きるのが、災難や死をまぬがれる唯一の方法である・・・と。良寛が知人からの見舞いの手紙の返信に書いた言葉ですが、良寛の人柄がよくあらわれています。

 川端康成はノーベル文学賞をお受けになった記念の講演で、道元禅師の 「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり」 という歌を紹介された。川端康成は良寛を通して道元禅師を理解しょうとされていたのかもしれません。
 良寛の 「形見とて 何のこすらん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」 は道元禅師の歌がもとになっています。時世の歌とされている 「うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ」 は良寛ご本人のものかどうかはさておいても「形見と・・・」が時世の歌にふさわしいと思われます。

 川端康成は、あくなき欲望や愛欲に迷い苦しむ人々を小説に登場させ、赤裸々な人間模様を描き出しています。濁世であると思われがちなこの世が清らかな美しい世界であり、そのような浄土に生きていることの喜びを小説に描き出そうとされたのでしょう。
 川端康成は良寛の書を数多く所蔵していますが、濁世にありながらも清らかな心を持ち続けた良寛の生きざまの向こうに、道元禅師の寂静安楽の境地を見いだそうとされたのでしょう。川端康成と親交の深かった画家安田靭彦も良寛を画いた。安田靱彦の描く良寛の絵の向こうにも無垢清浄の世界が広がっているようです。


一葉落つる時天下の秋なり

 ある修行僧が雲門禅師に、「樹凋(しぼ)み葉落つる時如何」と問うた。青々と繁っていた樹々も秋になれば紅葉して、樹はしぼみ、晩秋はもの寂しい景色となってしまった。このありさまをどのように受けとめればいいのでしょうか。
 樹凋葉落の時節は人生にたとえれば、あたかも寂滅に向かう老人の季節であろうか。その僧の問いに雲門禅師は「体露金風」と答えたそうです。

 体露とはすべてのことがそのままに現れれている、この現前の宇宙大自然そのものです。樹々は美しく紅葉して錦のごとし、黄金の大地をつくりだしている、金風とは秋風のことです。
 人も年を重ねると肉体的に衰えていくけれど、人間として悪いクセや個性などのアクもぬけて老境の輝き、黄金の風格があらわれてくるというものです。

 良寛は国上山中腹の五合庵での一人暮らしが年とともにできなくなり、里の一庵に移りました。貞心尼が付き添うことが多くなり、病に臥しがちな日々となり 「むさし野の 草葉の露のながらへて ながらへはつる 身にしあらねば」 という一首を詠んで自分の命の終焉の近いことを貞心尼にひそかに告げたそうです。
 良寛の自作ではないともいわれていますが 「うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ」 良寛は臨終に貞心尼に一言洩らしたといわれています。死ぬ時節には死ぬがよく候と、天保二年正月六日、74歳にして朝露の消えるが如くこの世を去った。

 良寛の嫌ったものは金や組織や名声で束縛されることで、自由人でありつづけたかったのでしょう。そして、良寛のもとめたものは、何ものにもとらわれない何の外的条件にも制約されない何物にも依存しない、何物にも執着しない無位の真人であったのでしょう。
 秋風が煩悩妄想の木の葉を払い尽くした情景は、あたかも一切を放下した清浄の世界です。良寛は求道一筋の人であった。清風去来する澄みきった良寛の心境に一歩でも近づきたいものです。

  形見とて 何のこすらん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉  良寛

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