第118話 2008年11月1日 |
一僧が雲門禅師に、樹凋(しぼ)み葉落つる時如何と問うた |
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知足は第一の富 良寛は仕事をして収入を得るということはなく、書を高く売ってお金を稼ぐということも、書や学問を教えて生活の糧としたこともなかったようです。檀家さんがあって生活が保障されていたということもなかったようです。責任あるお寺の住職でもなく、扶養する家族もなく、自分一人の身であるから、姉弟親戚のつきあいはあっても、身一つが生きていければよかったのでしょう、気楽な日暮らしをされていたという印象です。 良寛の持ち物は一人住まいの身の回り必需品と書物と紙、筆、硯、そして粗末な法衣でした。しかし当時の庶民の生活ぶりも衣食住ともに貧乏人の良寛とあまりかわらなかったと思われます。今日の飽食の時代では一汁一菜、二菜は粗食でしょうが、その当時は三度の食事さえ十分でなく、食料が満ち足りていた時代ではありませんでした。 株価の騰落に一喜一憂することもなく、柴、米、油、塩、醤、酢、茶、日々の暮らしの最少の物品あれば十分で、良寛も日々身を立つるに乞食袋の三升の米と炉のそばの薪一把があればよかったようです。 アメリカでの金融破綻があっというまに全世界に経済不安を引き起こしました。人間社会のゆらぎ現象はしばらくおさまらないでしょう。混沌の時代ですから、良寛にならって清貧という言葉をあてはめて人の生き方を理解しょうとする人も多くなるでしょう。だが、ありあまるほどに物の豊かな時代に住む現代の日本人にとっては、どうしてもうわべの視点になりがちで、現代人の生活ぶりを云々する域を出ないでしょう。 はたして良寛は俗世の塵に心うごかすことも終生なかったのでしょうか。清は貧の徹底したところ清浄の域であるから、清貧といってもそれは食べ物や物の豊かさ、贅沢に対して質素であるというよりも、心清らかに生きる、生き方に知足の精神がこめられているかどうかということでしょう。貧に身を置く生活にしてはじめて清浄の心の域を得ることができるのでしょう。 清貧とは貧乏生活を余裕をもって楽しむことをいうのでしょうか。「足ることを知る者は、身貧しけれども心富む。得ることを貪るものは、身富めども心貧し」物への執着をあらわにする金持ちの暮らしは、迷いが多い。物に執着しない貧乏暮らしは貧困であっても心が広くゆったりとして常に安らかである。 足を知って貧にして楽しむ、貧ほど深き隠れ家はなし、貧しい生活をしていると訪ねてくる人もない、良寛の五合庵に勝るこれ以上の隠れ家はないということでしょう。 良寛の慕う国仙和尚の向こうに道元禅師がおられたのでしょう。永平寺開闢当時の道元禅師は京の都から遠く離れた深山幽谷の雪深い草庵に坐しておられた。良寛もこれにならって草庵を住まいとされていたのでしょう。五合庵は人里の近くであるが、人間味あふれる、求道者のひたむきな生き方が時代を超えて人々の心にひびくのでしょう。 |
無位の真人 「この岡の 秋萩すすき手折りもて 三世の仏に たてまつらばや」 |
一葉落つる時天下の秋なり ある修行僧が雲門禅師に、「樹凋(しぼ)み葉落つる時如何」と問うた。青々と繁っていた樹々も秋になれば紅葉して、樹はしぼみ、晩秋はもの寂しい景色となってしまった。このありさまをどのように受けとめればいいのでしょうか。 樹凋葉落の時節は人生にたとえれば、あたかも寂滅に向かう老人の季節であろうか。その僧の問いに雲門禅師は「体露金風」と答えたそうです。 体露とはすべてのことがそのままに現れれている、この現前の宇宙大自然そのものです。樹々は美しく紅葉して錦のごとし、黄金の大地をつくりだしている、金風とは秋風のことです。 人も年を重ねると肉体的に衰えていくけれど、人間として悪いクセや個性などのアクもぬけて老境の輝き、黄金の風格があらわれてくるというものです。 良寛は国上山中腹の五合庵での一人暮らしが年とともにできなくなり、里の一庵に移りました。貞心尼が付き添うことが多くなり、病に臥しがちな日々となり 「むさし野の 草葉の露のながらへて ながらへはつる 身にしあらねば」 という一首を詠んで自分の命の終焉の近いことを貞心尼にひそかに告げたそうです。 良寛の自作ではないともいわれていますが 「うらを見せ おもてを見せて ちるもみじ」 良寛は臨終に貞心尼に一言洩らしたといわれています。死ぬ時節には死ぬがよく候と、天保二年正月六日、74歳にして朝露の消えるが如くこの世を去った。 良寛の嫌ったものは金や組織や名声で束縛されることで、自由人でありつづけたかったのでしょう。そして、良寛のもとめたものは、何ものにもとらわれない何の外的条件にも制約されない何物にも依存しない、何物にも執着しない無位の真人であったのでしょう。 秋風が煩悩妄想の木の葉を払い尽くした情景は、あたかも一切を放下した清浄の世界です。良寛は求道一筋の人であった。清風去来する澄みきった良寛の心境に一歩でも近づきたいものです。 形見とて 何のこすらん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉 良寛 |