2009年9月1日  第128話
         回光返照   

               すべてのものは苦なりと
               よく智恵にて観る人は
               この苦をさとるべし
               これ、安らぎにいたる道なり  
法句経 
  
        
あらゆる苦しみを生み出すものは、わがまま勝手な自分自身です、
          けれども、心を鍛えて、自分を変えることによって、苦しみから自由になれる。
          仏の教えの本質は「苦」の消滅であり、それは、自分自身を変えていく日々の修行です。



さまざまな苦しみを感じるのは、今、生きているからです

 この世に生きているかぎり生老病死の苦しみがともないます。また欲望は苦しみを生みます。愛する者と別れる苦しみ、怨み憎しむ者と会う苦しみ、求めるものが得られない苦しみ、利己的な執着心(しゅうちゃくしん)による苦しみ、生きることは苦しみです。

 だれでも生きていくのが辛いとか苦しいとか、思い悩みます。それが、どんな苦しみなのか、どういう悩みなのかは、人によってみんなちがいます。苦しみが長く続くこともあれば、短い期間だけで終わることもあり、また、苦しみがすごく深いものから、それほどでもないものまで、生きているかぎり諸々の苦しみがあります。

 この世には 「縁起
(えんぎ)の法」 というのがあって、「すべてのものは因(いん)あるによる」 とされています。すべてのものは、それなりに原因があって結果があります。生きていることが苦であるというが、いったいその原因は何でしょうか。お釈迦さまは 「渇(かわ)けるものが水を求めてやまぬさま、激(げき)する欲望(よくぼう)のいとなみ、渇愛(かつあい)である」 といわれました。

 たとえば、愛がめばえて、お互いに恋する心がつのれば、なぜか苦しみも大きくなる。この男女の愛欲の他にも、財欲、飲食欲、睡眠欲、さらには名誉や権勢の欲望にいたるまで、人間はあらゆる欲望をいだきます。欲しいものが手に入らないと、さらに欲しいという苦しみの気持ちが強くなる。欲望を持たなければ苦しまなくてもいいのでしょうが、生きている限り欲望は尽きません。さまざまな苦しみを感じるのも、今、生きているからでしょう。

苦しみは、何が原因で生じるのでしょうか

 苦しみはいったい何が原因で生じるのでしょうか、そして、どうすればこの苦しみから抜けだすことができるのでしょう。

 第一は苦諦、「これは苦である」 第二は集諦、「これは苦の生起である」 第三は滅諦、「これは苦の滅尽である」 第四は道諦、「これは苦の滅尽にいたる道である」 
 こういう筋道で、お釈迦さまは苦・集・滅・道の四諦
(したい)を説かれています。諦とは真理のことで、この四つの真理をよく認識しなさいと教えられました。

苦諦、 苦あれば楽ありといいますが、楽しいこともあるけれど、今、生きているから、さまざまな
     苦しみを感じます。

集諦、 生きているから、諸々の苦しみが生じる、苦しみは何が原因で生じるのでしょうか。

滅諦、 苦をまねく渇愛を、あますところなく滅し、脱することができれば、苦しみもなくなる。
     今、生きていることが喜びならば、苦しみがあることも喜びです。苦しみを喜びと受けと
     めることができれば、たちまちそれは苦しみでなくなる。

道諦、 苦しみを喜びと受けとめ、苦しみを喜びに変えていく、それが苦しみからのがれる方法
     だということですが、どうすれば苦しい人生を克服できるのでしょうか。

苦しみを喜びと受けとめることができれば、苦しみでなくなる

 「なんじらまさにこの道を行かば、苦を終熄(しゅうそく)せしむることを得るであろう、欲の矢を除去することを悟りて、まことにわれはこの道を説いた」(法句経) 苦しみが生じる原因が渇愛ならば、それを除去することによって、人は苦の滅尽を実現できる。これはあたりまえのことですが、実践するとなると容易なことではありません。

 そこで、お釈迦様は「四諦八正道
(したいはっしょうどう)」の実践を説かれました。四諦(したい)とは先ほどの苦諦、集諦、滅諦、道諦の四つです。滅諦にいたる教えとして、道諦の修行方法を説かれたのが八正道(はっしょうどう)です。八正道の生活実践によって、苦しみを喜びに変えていく力をつけることができる。

1,正見
(しょうけん)・・・正しいものの見方、しっかりとものごとを見る
2,正思
(しょうし)・・・正しい考え方、決意
3,正語
(しょうご)・・・正しい言葉ずかい、真実の言葉
4,正業
(しょうごう)・・・正しい身のおこない、清浄な生活
5,正命
(しょうみょう)・・・正しい生活、身体的行動・言葉・意志を清浄にした生活
6,正精進
(しょうしょうじん)・・・正しい努力、涅槃(ねはん)にいたる努力
7,正念
(しょうねん)・・・邪念を離れ、正しい道を念じること
8,正定
(しょうじょう)・・・精神を集中し、安定して迷いのない清浄な境地に入ること

  ただしい見方・・・正見、
  ただしい行為・・・正思・正語・正業、
  ただしい生き方・・・正命、
  ただしい修行の仕方・・・正精進・正念・正定

 生きることに挫折した時、自信を失った時、何かにすがりつきたい思いの時、八正道は日々の生き方のよるべとなるでしょう。また、何を信じて生きていけばいいのか、日常生活の指針としても、そして、ものごとの判断を見誤らないための基準にもなるでしょう。
 苦しみを喜びと受けとめることができるようになれば、その苦しみはもはや苦しみでなくなるから、八正道の生活実践を続けることを、お釈迦さまは説かれました。


苦しみを喜びに変えていくことが、苦からのがれる生き方でしょう

 般若心経に、人間の身体は、「色・受・想・行・識」より形づくられている、とあります。色は人間の肉体、すなわち物質的要素をさし、受以下は精神的要素です。すなわち、受は感覚であり、想は表象、行は意志、識は判断理性のはたらきです。この「色・受・想・行・識」が人の命の総体ということでしょう。

 ところが人の心の奥底には内なる不安を生み出す悪魔が潜んでいます。貪欲
(むさぼり)、瞋恚(いかり)、愚痴(おろかさ)の心が、「色・受・想・行・識」すなわち人の命の総体を、愚かにも、欲望のおもむくままにはたらかせてしまう。それで人は自分で自分を苦しめて、人生を苦しみに満ちたものにしてしまうようです。欲望がなければ、苦も生じないのでしょうが、欲望の炎は生きている限り消えません。

 炎々として燃える火も、その燃料が尽きればもはや燃えることはない。貪欲・瞋恚・愚痴の煩悩の炎もやがては燃え尽きて消える、これを悩み苦しみが完全に消滅した涅槃
(ねはん)に入るという。 しかし、生老病死の苦しみも、心身を悩ます一切の欲望である煩悩(ぼんのう)も、生きてる限り消えないから、涅槃に入ることなどできません。けれどもお釈迦さまは、少欲知足(しょうよくちそく)を常に心がけることによって、すこしでも煩悩の炎を滅除できると教えています。

 生きているからこそ、諸々の苦しみがある。さまざまな苦しみを感じることは、今、生きている証
(あかし)だから、その苦しみのあることを喜ぶべきでしょう。八正道の生活実践に精進努力することよって、苦しみを喜びに変えていく力をつけることができる。苦しみを喜びと受けとめることができれば、苦しみが苦しみでなくなります。苦しみを喜びに変えていくことが、苦しみからのがれる生き方でしょう。苦しみと上手につきあえるようになればいいのですが。 
 

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