楽しいと感じることも、楽しいことは幸せだと思うことも、妄想かもしれません
あなたにとって、幸せとは、何ですか?
こうたずねると、健康で長生きできれば楽しい、家族や友達にめぐまれていれば楽しい、お金や財産があれば楽しい、美味しいものが食べられれば楽しい、楽しいことがいっぱいあれば幸せです、等々の答えが返ってきますが、本当にそうでしょうか。
健康な人はみなさん幸せでしょうか。ご長寿の人に苦しみはないのでしょうか。家族全員が幸せな気持ちで暮らしているでしょうか。友達や知人など、人とのつながりは良好な関係にあるでしょうか。お金や財産がいつまでもあって、先々までも安心でいられるでしょうか。美味しいものを食べている時だけが幸せだと感じる、そういうことではないでしょうか。
私たちは、生まれてくる前は何もない、ゼロです。死んでしまうとなにもかも消滅してしまうから、またゼロになる。ゼロから生まれてゼロに帰るから、今、実在して生きているといっても、私という肉体は、けっきょくは空虚なモノかもしれません。私という心も、自我も、はっきりとした正体などありません、ないのに、何ごとにつけても、私は、自分は、という主語からはじまって、好き、嫌い、面白くないなどと、自分勝手に受けとめている、それを妄想というのでしょう。
楽しいと感じることも、楽しいことは幸せだと思うことも、妄想かもしれません。妄想の原因は欲です。欲を満たすために新たな欲が生じて、欲には際限がないから、つねに欲に振りまわされて苦しむことになります。どん欲な心をしずめれば心は平安になれるのですが、利己でなく他を利すれば、苦しみもやわらぐのですが、わがままな自我はいつも自己中心的です。
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自分の体だって、自分でどうすることもできないモノです
人はそれぞれ、生きる目標とか願いをもつでしょう。家を持ちたいという願望のために、必死に働いてお金を稼いで、ローンを組んで、やっとのことで立派な家を建てたとします。家を建てたから幸せになるはずが、そうはいかないこともあるようです。
子供が部屋を持ったことで会話がすくなくなった、通勤時間が長くなり、家族団らんがなくなった。返せるはずのローンが、リストラにあって、返済金が捻出できず、不動産価格も値下がりして、売却しても差損がでる。家庭内に不協和音が生じるようになり、家庭が崩壊しそうである。こんなことになるのであれば無理して家を建てなければよかった。小さな家で部屋数が少なかったけれど、家族の団らんがあった、笑い声があふれていた、そんな過去を懐かしみ涙するということも、よくある話しです。
自分の体だって、自分でもどうすることもできないモノですが、さりとて、モノに頼っても、モノが幸せをもたらしてくれない。モノに満足していても、モノに執着することから離れない限り、そのモノによって束縛され、ふりまわされる。物質的にめぐまれなくても、精神的な充実感があればいいのですが・・・。
目標や願いをもっても、未来はわかりません。目標や願いに執着しすぎると、思い通りにいかないことが多いから不安がいっぱいです。一寸先は闇でわからないのが人生だから、けっきょくのところ、現実をよく理解して、今を生きることが無難なようです。
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輪廻とは己の心が絶えず変化し続けることです
未来も、そして過去も人間の頭で思い描いている幻想であって、現実こそが事実だから、仏教では今を大切にします。未来を心配すれば不安になる、過去を悔やめば悩みが消えないどころか、悩みが重なって、苦しみの度合いが大きくなります。
不安や悩みは、未来や過去のことを思うことから始まるようです。したがって、今のこの時を充実させるということでしょう。どうなるかわからない未来のことを心配したり、過ぎ去った過去を悔やんでもしかたのないことです。
輪廻転生して変わらないモノなど、この世には存在しません。輪廻とは己の心が絶えず変化し続けることです。心の変化は行いによって変わります。善行為によって幸福になったり、悪行為によって不幸になったりします。したがって、一つの魂が前世から後世へと受け継がれて、何度も転生を繰り返すということはありえません。幸不幸はその人の行いの結果であり、先祖の霊がたたっているとかそういう次元のものでもありません。
来世のことはわかりません。悪行の果てに地獄に堕ちるか、どうかはわかりませんが、悪いことをすれば罪人となり、この世で十分苦しむことになります。善い行いをすれば天国に行けるかどうかわかりませんが、この世で楽しく幸せに暮らせるでしょう。
人生の初めも終わりもゼロだから、どんなに正しくしっかりとした生き方をしても、ゼロで何も残らない、しかし正しい生き方ができなかった人は、マイナスが残ります。
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悩みも苦しみも空虚なものです
生まれる前は何もないから、ゼロです。死んでしまうと、身も心も消滅してしまうから、また元のゼロに帰ります。自己の肉体は、今、実在しているといっても、明日はわからない、いつ消えてしまうかわからないような空虚なモノです。身心は一つのモノですから、心も正体のない空虚なモノです。そんな空虚なモノが自分流に自己の好みや主観で認識するのですから、現実をありのままに受けとめることができないで、なにごとにつけても、妄想してしまいます。
この世は無常であり、世の中に変わらないものなど何一つないのに、永遠に変わらない何かを得たいと思うから苦しくなります。健康で長生きであれば楽しい、家族や友達がいれば楽しい、お金や財産があれば楽しい、美味しいものを食べると楽しい、いつまでも楽しいことがあり続けて欲しい、そう願うけれど、思いどおりにならないから、悩みます。
人は生まれて、成長とともに知能が発達するから、物心がつくころより、悩みや苦しみがついてまわる。自分のわがまま勝手な心で生きようとするから、気に入らないことは排除し、否定します、気に入ることは取り込もうとします。貪り、怒り、愚かな心のはたらきによって、たえず自分の心が揺れ動いているから、悩みや苦しみがついてまわります。
悩みも苦しみもなく心が病んでいない状態を幸せというのでしょう。本当の幸せとは心の安らぎです。心のやすらぎに大きな楽しみを見出し、悩み、苦しみを含み持っている小さな楽しみに翻弄されてはいけません。そしてゼロから生まれて、また元のゼロに帰るのですから、気楽に生きればいいのでしょう。今日も明日もそう思える生き方ができればいいのですが、いかがでしょうか?
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