2011年 11月  第154話
        作務(さむ)
 仏道を学習するに、しばらくふたつあり。
いはゆる(しん)をもて学し、(しん)をもて学すなり。 道元禅師
                                                       

落ち葉掃き

 晩秋は落ち葉の季節です。掃いても掃いても、あとからあとから落ち葉が風に舞い散ります。落ち葉を踏みしめる足音の感触がいいとか、ちり積もった落ち葉が絨毯のように綺麗だとか、この時節ならではの光景です。

 落ち葉が秋の景色だから落ち葉掃きをしなくてもよいのですが、掃き清めることが清浄を保つことにつながることから、社寺の境内も、街路樹のあたりも落ち葉は掃き清められます。茶人は掃き清めたあとの庭に、あえて客人が来る前に二三枚の枯れ葉を落として、秋の風情の演出を楽しむ、これも清浄の世界へのおもてなしということでしょう。

 落ち葉が散乱している状態を秋の風情と見る人と、掃除が行き届いていないと思う人と、見解が分かれるところです。それでは掃除することは、どういう意味を持つのでしょうか。日本人は掃除が好きな国民であるとか、日本人はきれい好きな民族だと、他国民に比べていわれるけれど、そうなのでしょうか。

 禅寺では落ち葉などが一見して散っていなくても庭掃除をします。汚れているかどうかにかかわらず、廊下の拭き掃除をします、お便所の掃除も同様です。落ち葉が散っていたり、汚れのひどいところはむろん念入りに掃除しますが、掃除は欠かせない日課です。こうした掃除などの作業を禅寺では作務といいます。

一日不作(ふさ)一日不食(ふじき)

 「作務衣」は最近では一般の人々の家庭着としても着られているようですが、もとは僧侶が掃除や畑仕事や寺院を維持するための作業を行うときに着用するものです。近年は作務衣が禅寺での僧侶の作業着のみならず、飲食店従業員の店着であったり、さまざまにデザインされて家庭のくつろぎの衣類としても広く着られているようです。

 禅僧は作務をするのに作務衣を着用します。ところが作務衣が一般化して、着るものの名称につかわれているけれど、作務という言葉は知られていないようです。作務とは作業、事務、仕事などの意味で、作業勤務を約した言葉で、労働を意味します。作務は労働といっても、生活のためのものでなく、労働を通しての、それが仏道修行です。

 「一日作さざれば一日食らわず」とは百丈懐海禅師の言葉です。百丈禅師が80歳の時、弟子達が高齢の禅師が作務をされるのを見かねて、作務をお止めくださいと言ったが聞き入れなかった。そこで弟子達が作務の道具を隠してしまったので作務ができなくなってしまった。それで禅師は食事をとらなかった。弟子達はなぜ食事をとられないのかをたずねたら、「一日作さざれば一日食らわず」と答えられたそうです。

 禅宗でいう作務とは掃除、草取りなどいろんな作業があります。雑用といえるかもしれませんがすべてが修行です。禅宗では食べることも、寝ることも、坐禅も、お経を読むのも、そして作務も、すべてが修行です。禅寺においては日常の生活がすべて仏道を修行することを意味するから、掃除も修行です。

浄化

 10月6日にNHKで、「セカイでニホンGO!」という番組がありました。アラブでは今、日本の文化や習慣が話題になっている。「ハーワーテル(改善)」というタイトルで全30回にわたり放送された日本紹介のテレビ番組がきっかけで、日本ブームが起きているそうです。

 「手を上げて横断歩道を渡る小学生」とか「時間を守る日本人」とか、日本人のマナーを見習いましょうということですが、中でもすごい反響があったのが、「掃除」です。日本人が掃除を生き方の基本とするということで、会社の経営にもこの思想が取り入れられ、ある自動車販売店が地域の掃除をすることで売り上げを伸ばしているという、「ニホンのソウジ文化に学べ」ということです。

 日本では工場の床に白線が引かれている、その白線がキレイであることが作業安全につながる。掃除で作業安全と生産性の向上をめざします。掃除ができない庭師はいない、料理人も掃除を大事な仕事と心がけ、どの職種でも掃除を怠らないのが日本人です。
 公園や公共の道路でも地域の人が奉仕で掃除をしたり、ご近所さんが自宅前や周辺を掃除したり、商店街でもお店の前をそれぞれが清掃するからキレイです。町内会やマンションの自治会の共同作業として、一斉掃除なども行われています。これも地域の環境をよくして、住みよい町にしようという思いからです。

 日本の学校では生徒が掃除をしますが、サウジアラビアでは日本を見習って児童が教室の掃除をするようになったそうです。イギリスでは児童は教室の掃除をせず、業者さんが清掃作業をするそうです。日本ではあたりまえのことですが、児童が教室の掃除をする国は多くないようです。「アラブの人々が日本の文化や習慣に目を向け始めたことは、世界が変わる兆しかもしれない」とは、番組を見た人のコメントです。

不染汚(ふぜんな)修証(しゅしょう)

 掃除することで気分転換がはかれて新しい発想も生まれます。職人は掃除によって技術が向上する。地域住民の奉仕活動である街路や公園の掃除は、地域住民の連帯感を強くし、地域の環境をよくして防犯にも効果があるから、地域掃除は住みよい町ずくりそのものです。学校では生徒が掃除を通して、子供達の人格形成の上で学ぶことが多い。自宅での掃除は生活空間をよくし、家族の絆が強くなり、生活意欲も高まる。

 東日本大震災によって原子力発電所の放射能汚染事故が起きた。除染とは、放射性物質を除去することで、これは深刻な問題です。人間の利益追求により放射能汚染や、二酸化炭素による地球環境汚染が進行してる。大気や土壌、河川、海の汚染が広域であればあるほど一度汚してしまった環境を取り戻すには膨大な費用と労力を必要とする。健康被害や自然の生態系に与える影響は計り知れないことを認識し、地球環境を汚さないこと、そして汚れてしまった地球環境の掃除は待ったなしの人類共通の課題です。

 「仏道を学習するには、かりに分けていえば、二つ挙げることができる、一つには心をもって学ぶことであり、二つには身をもって学ぶことである」とは道元禅師の言葉です。掃除は心と身の学びに通じます。自分が掃除することで、自分も他をも清浄にするから、自分の修行がそのまま十方世界にわたって功徳を及ぼす。気づいていないけれど、そうなっていると、道元禅師は教えられました。

 禅寺での掃除は汚れているからするのではない、汚れていようがいまいが、淨不浄にかかわらず、毎日欠かさず掃除をする。身をもって掃除することで、身のまわりや環境がキレイになる、そして、自分の心もキレイになる。掃除とは洗い浄めることで、心身を洗い浄め、環境や国土を洗い浄め、法界すなわち真理の世界をも洗い浄めるから意義がある。

戻る