2012年1月1日 第156話 |
共に生きる |
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国民総幸福量 昨年の11月にブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻が日本を公式訪問されました。ブータンはヒマラヤ山脈の東の端に位置しています。ブータン王国の面積は日本の九州と同じくらいで、人工は70万人、経済成長著しい大国のインドと中国に接している小さな国です。国教はブータン仏教で、日本人の多くが親近感を持っている国の一つです。 主な産業は農業で、世界銀行によると、2010年の一人あたりGNI(国民総所得)は日本の約22分の1です。ブータンの最大の輸出品目は水力発電ですが、自然を破壊して建設される巨大なダムでなく、山の斜面を利用して造られた小規模発電で余剰の電気を隣国インドに輸出しています。 一人あたりの国民総所得が約16万円ですから貧しい国と思えますが、ブータンの国民の9割が幸福であると答えているそうです。国民の多くが農業中心の自給自足で、飢饉がないからそれが幸福感につながっているのかもしれません。そしてブータン仏教が人々の精神的な支えとなっているのでしょう。 ブータンは国民総生産(GDP)でなく、国民総幸福量(GNH)を指標にして、国づくりをしています。しかし最近では首都ティンプーに職を求める人々が流れ込み、ビルが建設され、さまざまな商品が他国から流入して物価上昇をまねき、消費社会がこの国にも押し寄せているとのことです。 |
幸福度指数 ブータン国王の言葉に 「私は世界の支配者のようにではなく、国民の兄弟のように、また親のように、また息子のようになりたいのです」 このブータン国王の演説そのままが、ブータン王国の国づくりでもあるのでしょう。 身近な人との信頼関係を大切にして、家族が、友人が、ご近所さんが仲良く地域が家族のように支え合っていることを幸せの条件として、親戚や知人が救いの手をさしのべるから、ブータンには孤児やホームレスがほとんどいないそうです。 それでは日本人は一般的に幸福であると感じるのには何が満たされていればよいのでしょうか。日本人が幸せであると感じる要素は、健康・家計・家族の3つが満たされていることでしょうか。ところが健康でも借金があったり、家庭でもめ事が絶えないとなると幸せと感じないでしょう。 ブータン王国では95パーセントの人が自分は幸せであると感じているらしいですが、何をもって幸せだと感じているのでしょうか。それはお金でも、健康でもなく、人間関係、隣人関係、家族関係が平和であり交流があるということだそうです。たしかにブータンの幸福度指数ではそういうことかもしれませんが、はたしてそれだけでしょうか。 |
この世は共生の世界 昨年は一年を通じて変化の兆しが予測される事柄がいくつか顕著に現れた年だったといえます。市場原理主義がもたらした格差社会や中東での長期にわたる独裁権力による抑圧に対する反発、ユーロ圏に発した金融危機による世界的金融不安、温暖化など地球環境の悪化、70億人の食糧問題等です。 そして今年は政治変革の年になるでしょう。アメリカ、中国、ロシアなどの大国の政治体制や、中東諸国、ユーロ圏の動向など、世界情勢が激動する年になるでしょう。これらは地球人類の共生の危機回避にかかわることがらです。 日本では、地震津波と原発被災地の復興、財政健全化、グローバル化と産業の空洞化、TPP、円高、不安定雇用、格差社会、そして3万人超の自殺者、離婚率の増加、高齢者や子どもの虐待等が深刻な問題です。これらは日本の共生社会の崩壊をどのようにすれば防げるのかという問題です。東日本大震災により日本人の考え方が変わってきたという。その一つが人や地域の絆を強くして、共生きの大切さを再認識するということです。 「ヒマラヤの貴婦人」と呼ばれている幻の大蝶、ブータンシボリアゲハを日本蝶類学会の調査隊がブータン政府の調査団とともに、昨年の8月中旬に、首都テインブーから車で7日間、さらに何日か歩く奥地の森林で約80年ぶりに確認しました。 その蝶が確認されたのは秘境ですが、人間が住んでいるところに近いそうです。森林の木を必要な量だけ切り、生態系を破壊することがないから、人間の森林との関わり合いと蝶の生息圏が重なり合っている。それは幻の蝶が人間生活と共生しているかのようであると報告されています。意識するしないにかかわらず少欲知足の人間の生きざまによって共生が保たれてきたのでしょう。 共生社会ということについて、企業活動を一つの例とすれば、企業がめざすべきものは、高付加価値を生みだすこと、そして社会貢献をすることです。付加価値が大きくなれば、配分される給与も企業の発展を支える技術や設備も向上して、おのずから純利益がふくらみ株主配当も納税額も大きくなるはずです。人、モノ、金を循環させて付加価値増大をはかることは共生社会の基本原理です。ところが市場原理のもとに人もコストとして扱われるようになると、市場拡大とコスト削減をもとめて、企業が海外移転し、国内産業は空洞化して、国全体の付加価値も増大しなくなった。これが最近の日本企業の傾向です。このように万事が社会的共生機能を発揮しなくなってきたようです。 |
共に生きていける、共に生かしあえる、共生は幸せの指数 日本政府は 「国民一人ひとりが豊かな人間性を育み生きる力を身に付けていくとともに、国民皆で子どもや若者を育成・支援し、年齢や傷害の有無にかかわりなく安全に安心して暮らせる共生社会の実現に努めます」 としています。 それにもとずいて政府は閣議決定した新成長戦略で、幸福度指数の作成方針を掲げ、内閣府の有識者会議で昨年12月5日に、国民総生産(GDP)では測れない豊かさを表す指数として「幸福度指標」の最終報告をまとめました。 それによると経済社会状況、心身の健康、家族や地域社会との関係性などの観点から130の評価項目が提案され、自分が幸せであると感じる度合いの意識調査、また、経済社会状況については仕事や住宅の満足度、心身の健康では自殺者数など、自然環境の持続可能性に関する項目もあります。これらの各項目の良し悪しから社会状況を診断、政策運営に生かすということです。 西洋では人間社会に対する言葉として「自然(しぜん)」と表現してきたが、日本には西洋の文化にふれるまでは「自然(しぜん)」という言葉はなかった。太陽、風、水、土のもとで、人間を含むあらゆる生物が混在し共生している状態を、自然(じねん)とか自ずからと表現してきました。自然(じねん)のこの世界は、もとから共生の世界です。ブータンには今も「自然(しぜん)」という言葉がないのかもしれません。 人間は地震や津波などの天変地異におののきながらも、この世すなわち自然(じねん)の共生の世界にあって、古来より天地山川草木に畏敬の念と感謝を忘れなかった。自然(じねん)を神仏や、ご先祖さまと崇めて幸せを祈り、神仏やご先祖さまと共生することにより、心の安らぎを得てきました。 この世は万物が共生する世界であり、共生の度合こそが幸せの指数であるはずです。ところが人間の欲望がこの指数を狂わせてしまう。共生の世界では市場原理や自由主義も、宗教という表現すらも不要であり、ブータンの宗教は日常生活そのものですから、ブータンではあえてブータン仏教ともいわないのでしょう。 昨年の世相を一字で表す「今年の漢字」に「絆」が選ばれましたが、共生とは万物の絆の総称です。人も、生きとし生けるものも、みな共に生きていける、共に生かしあえる、共生は幸せの指数です。共生は利他によって保たれるから、日々の利他行によって、人は幸せに生きられる。利他行によって、共に生きる喜びと感動を得ることができるでしょう。 |