2012年12月1日 第167話
            仏道を学ぶとは、自己を学ぶなり

  仏道をならうというは、自己をならうなり。自己をならうというは、自己をわするるなり。
  自己をわするるというは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、
  自己の身心、および佗己の身心をして脱落せしむるなり。   正法眼蔵現成公案


お釈迦さまは12月8日、明星の輝きとともに大悟された

 
  2500年前の話ですが、お釈迦さまは6年もの長きにわたる難行苦行のはてに、悩み苦しみの極限に至られた。そして悩み苦しみをそのままに受けとめて菩提樹下で坐禅に入られました。やがて夜の闇が明けんとする12月8日の黎明に、明星の輝きをご覧になった。その時天と地、有情と非情、お釈迦さまご自身と一切のもの、ことごとくが光明の輝きを放っていることを悟られた。

 その悟りはサンスクリット語の音写で、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)、無上正等覚(この上ない正しい悟り)と訳されています。お釈迦さまのこの悟りが2500年の時を経て受け継がれてきた。これを自分自身の上に実現することが仏教の目的です。

 それはお釈迦さまの坐禅、すなわち、只管(ひたすら)に坐ることだと道元禅師は教えられた。自己を先にたてて万法の真実を明らかにしようとすれば迷いとなり、万法の側から自己を照らし出されれば悟りとなる。万法に証せらるるとは、悟らされるということです。自己の執着をすてなければ、万法に証せらるることもない。

 仏道を学ぶということは、自己を学ぶことです。心身を脱落せしめるとは、真実である仏(悟)が自己に現成(悟りのすがたを現す)する。すなわち天地宇宙である仏と一体となり感応道交することで、それを万法に証せらるるといいます。
目覚めようとする心を発すか否かが、人生の幸不幸の分岐点

 自意識をはたらかさず、天地宇宙と一つになる、坐禅は修行であり悟りです。姿勢を正して、しっかりと大地に自分の身を整えて、息を整えて、心を整えよ、お釈迦さまは良く整えし我が身こそ仏なりとお諭しになられました。

 混迷の時代を生きぬくためには、世相に翻弄されず、ほんとうのところを見失わないように眼を見開くことです。自身の仏心を呼び覚まさずして、他に幸せを探し求めても、空虚なものを追いかけているにすぎません。自分自身の仏心を呼び覚まそうと努力するところに、人生は楽しいものとなるでしょう。

 人の一生は夢の如き儚いものです、毎日がはじめての今日、初めての私ですから、いつも真実をもとめようと努力する生き方こそが、目覚めです。この上もなき幸せとは、今、目覚めることです。人生、一生修行であり、修行こそが悟りすなはち目覚めです。目覚めようとする心を発すか否かが、人生の幸不幸の分岐点となるでしょう。

 人はなんのために生まれてきて、なんのために生きているのだろうか、 執着による迷いの人生から、生き甲斐が感じられる人生へと転換したいものです。今日の私は昨日の私でない、明日の私といってもすぐに今の私になり、過去の私になる。だから過去や未来にこだわらず、今の私を生きることです。自分を変えること、自己の人格を向上させることが混迷の時代を生きぬく術です。
混迷するこの世界で、目覚めた生き方をすることが仏教の目的です

 ストレスはからだの疲労や精神的な圧迫感によって体内におこる歪みです。現代人は職場でも、学校でも、地域社会でも、家庭においても、日々何らかのストレスを感じています。
 また、私たちは自我の欲望のおもむくままに利己的な生き方をしているから、悩み苦しみを自分自身でつくってしまい、それがストレスの原因ともなっているようです。

 人には利己的な生き方をしてしまう貪瞋癡(むさぼり、いかり、おろかさ)の三毒の心があり、この三毒の心がはたらくから煩悩が生じます。次々と湧いてくる煩悩もストレスの原因です。三毒の心のおもむくままに勝手気ままな自分本位の生き方をして、そのために自分で悩み苦しんでいるのが凡夫の姿です。

 社会生活をしているかぎり、日常的にストレスから逃れることはできません。ストレスが原因で精神的な不安や悩みをかかえて日々生活をしています。ストレスにつながらない強靱な精神状態を保てればよろしいが、なかなかそうもいきません。ストレスが解消されないと、精神的な不安や悩みはさらに深刻なものになり、身体までこわしてしまい、悪くすると家庭崩壊や人生の破滅につながります。

 ストレスを解消できればよろしいが、なかなかそうもいかないから、欲望のおもむくままに生きるのか、仏心を呼び覚まして生きるのかが、ストレス社会を生きぬく幸せの分かれ目のようです。この迷いの世界で目覚めた生き方をすることが仏教の目的です。
毎朝一番に、背筋伸ばして姿勢を正し、肩の力を抜き、ゆっくりと息を数回吐く

 人はストレスを感じて日々生活をしています。すこし時間があれば、坐禅のように足が組めなくても、正座でも椅子でもいいですから、五分でも十分でも静かに坐って、背筋伸ばして姿勢を正し、肩の力を抜き、呼吸を整える。お腹の底からゆっくり吐き出す呼吸法でリラックスする、そんな一時を持つことをおすすめします。

 ご家庭にお仏壇があれば、朝一番に真っ直ぐに線香一本を立てて、その前に坐って手を合わせ祈る。お仏壇がなければ朝一番に正座して姿勢を正し、息整えて、静かに手を合わせ、「ありがとうございます」と感謝して、一日の始まりとしたい。
 毎朝一番に、背筋伸ばして姿勢を正し、肩の力を抜き、ゆっくりと息を数回吐く。朝一番のラジオ体操と同じように、心の体操で今日一日が安らかなになるでしょう。

 幸福な人生とは、困難に出会い克服することだと人は言いますが、苦悩ほど人間の骨を削り、肉を裂くものはない。しかし、この苦悩を乗り越えて生きるところに人格のたかまりがあるということでしょう。そのためには、苦悩というストレスを解消できればよいのですが。

 毎朝一番に、背筋伸ばして姿勢を正し、肩の力を抜き、ゆっくりと息を数回吐くことによって、今日一日の始まりに気分を一新できるでしょう。そして、背筋伸ばして肩の力を抜く、姿勢正しく、ゆっくりと息を吐くことを常に心がけることによって、ストレスを感じても蓄積しない生き方ができる、これがストレス社会を生きぬく術です。
 
出版しました


      243ページ

 
死別、その悲しみを乗り越えて・・・
     ・・・新しい自分に変えていく


神応寺住職 安達瑞光著
卒哭
(そつこく) 
生き方を、変える

·    平成24年8月 書店販売開始  
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発行 風詠社   発売 星雲社  1575円(税込)

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