2013年7月1日 第174話             

        夢への挑戦  三浦雄一郎の名言
                            

   
 
   いたずらに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲しむべ
   き形骸なり、たとい百歳の日月は聲色の奴婢と馳走すとも、
   其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに
   非ず、百歳の佗生をも度取すべきなり、此一日の身命は尊
   ぶべき身命なり、貴ぶべき形骸なり    【修証義】 
                                     

夢を見て、あきらめずに実行した

 
「とうとう地球のてっぺんにたどり着きました」「世界最高の気持ちです。まさか80歳でエベレストの頂上にたどり着くとは」プロスキーヤー・登山家である三浦雄一郎さんは史上最高齢の80歳で世界最高峰エベレスト(8848㍍)に登頂されこのように話された。

 三浦さんは2013年5月23日午前9時頃、史上最高齢の80歳でエベレスト登頂して、24日深夜、標高6500㍍のキャンプに到着しました。そこからヘリコプターで下山、ネパールの首都カトマンズの空港に着いた。そして記者会見で高齢になっても「夢を見て、あきらめなければ実現できる。すばらしい宝物になった」と、「おかげさまで登れた。頂上は素晴らしい快晴、こんなすごいことはなかった」と感想を述べられた。

 記者会見での外国メデイアの質問は、気力や体力の秘密に集中した。下山は「登りより、はるかに危なかった。一歩間違えたら死んじゃうので。生涯でこれほど疲れたことはない」「やっと生きて帰ってこられたという感じだ、(カトマンズは)酸素が濃いな。ほっとしているとしか言いようがない」と、真っ黒に日焼けした三浦雄一郎さんは笑顔で語った。

 三浦さんは70歳だった2003年と、75歳だった2008年にもエベレストに登頂しているから、今回で3回目です。しかも、ネパール人の76歳の最高齢記録を塗り替えた。
 「山には相性がある。山に呼ばれなければ、なかなか行けない。エベレストの女神に3回呼ばれて、とうとう3度目の登頂になった」と、お父さんの雄一郎さんがこのように語れば、一緒に登った次男の豪太さんも「親子2回同時登頂というのも世界で初めて」と、誇らしげに語った。

人間はいくつになっても、可能性がある!

70歳でのエベレスト登頂を目指された頃のことです。「53歳の時に、世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げて以来、私は全く普通のおじさんになってしまいました。冒険家としての挑戦は、この辺でいいのかなという気がして、飲み放題、食べ放題。その結果、164㌢の身長で、体重は80キログラム以上に増え、高血圧に高脂血症、おまけに糖尿病の兆候まで出てきた」ということでした。

 53歳で世界七大陸最高峰のスキー滑降を成し遂げた後、目的もなくトレーニングしていなかったので、500㍍の小山の途中で息が切れて先に進めなくなったそうです。そこから、『人生、このままたそがれちゃいけない』と一念発起し、本気でエベレストを目指して6年間トレーニングを重ねたということです。父親の三浦敬三さんは、白寿(99歳)でモンブランでのスキー滑走をやってのけた、父親に負けてたまるかという思いも強かったということです。

 「いま、企業で働く中高年には、夢をなくしていた頃の私とだぶる人が多いような気がします。会社の業績もいまいちで、何とはなくしょぼくれている。年齢的にも『もう限界』と挑戦を諦めているのではないでしょうか。 でも、私がそうだったように、50歳、60歳からでも相当のことができるんです」 「人間はいくつになっても、可能性がある!」と、三浦さんは力説されています。中高年の人々の心に響く言葉です。

 「エベレストに登るという夢を持った途端、人生が変わった。そして、夢を持てば実現できることを改めて知った」しかし「達成できる保証なんてどこにもありません。」「成功を信じて進むためには、絶対にあきらめないという執念を持つことが大事です。」と言う。さらに「思いの強さがあれば、あとは努力をするかしないかに尽きる。焦らずに『いつでも今日がスタート』と思って、またゼロから進んでいけばいい」三浦雄一郎さんは、このように当時を回想しておられる。

日々の生活では階段を一段一段上がることに意義や喜びを見出してきました。

 「誰にでも失敗はつきものだし、上手くいかないこともあります。」「どんなに入念に準備しても、予定は狂うし怪我はするし、限界まで追いつめられることなんてしょっちゅうです。」「でも、そうしながらも、絶対に掲げた旗印、夢はあきらめないでほしい。」という、そして 「夢をあきらめることこそが、人間にとって最も無理をしている状態なのです」と言い切る。 

 そして 「夢に向かう道というのは様々な方向に伸びていて、正しいと信じてやって壁に突き当たったとしても方向転換すればいい。」「出口の方向には必ず光りがあるから、一度原点に戻ってみて光があるほうへ進んでいくんです。」いずれにしても、夢はあきらめないことだと言う。

 「最後は『これができたら死んでもいい』というほどの覚悟。それさえあれば、自分の中で揺るぎない目標設定をして、計画的に準備を重ねることができるし、不安やストレスさえも、エネルギーになります。」「人は命を賭けると『生きて帰るんだ!』という強い力が出てきます。」ビジネスでもどんな分野であっても、死んでもいいほどの意志を持てたら最高の能力が発揮できるんです。」という。

 「小さな挫折や失敗を気にせず、『今日これだけやれた』という達成感を積み上げていく。無理しない範囲で、できることを積み重ねていけば、やがて無理がきくようになります。」「エベレストの頂きにたつという大きな目標を掲げながら、日々の生活では階段を一段一段上がることに意義や喜びを見出してきました。」 このように、三浦雄一郎さんはご自分の体験を人々に語っている。

 夢への挑戦

 ネパールの首都カトマンズに無事に到着した三浦さんは、高齢者へのメッセージとして 「70歳や80歳であきらめる人が多すぎる。80歳がスタートだと思えば、人生がおもしろくなるんじゃないか」 真っ黒に日焼けした三浦雄一郎さんの熱い言葉は高齢者の心に響きます。
 90歳での挑戦は、と記者会見で聞かれると、「もうたくさんだよ、疲労困憊(こんぱい)」と答えながらも、「世界6位の高峰ヒマラヤのチョーオユー(8201㍍)の「頂上からスキーを滑りたい」と、もう次への夢への挑戦に意欲をみせておられる。

 「本田宗一郎さん、佐治敬三さん、盛田昭夫さん、私が会った一流の企業家は、やっぱりみなさん前向きで、上機嫌な人たちだった。そして、年齢に関係なく何かを追い続ける生き方は、全員に共通していたとおもいます。」 「冒険心があったからこそ、山を越え、海を渡り、人類は地球上で生き残ってきた」人はいくつになっても、夢に向かって挑戦すべきであると、力説しておられる。

 登頂までには、何年もトレーニングを重ね、準備万端を整えなければいけない。エベレストのような山に登るには少しずつ体をならしながら上をめざす。頂上に到ったならば、登頂の喜びに長くひたることなく下山しなければならない。気象条件のよい一瞬にめぐまれなければ、登頂もできない下山もできないから、まさに生と死の分かれ目を登り降りすることになる。そして、生き死にを分けるのは気象予知の的確さと、山の神のご加護によるところということでしょうか。

 夢を実現させることはまた次の夢の実現につながっていかなければ意味がない。5年後の夢の実現を可能にするのは今の生き方そのものですから、三浦雄一郎さんの人生とは、常に生と死の分かれ目を歩く、まさに今の一瞬なのでしょう。
 「『老いは怖くない。目標を失うのが怖い』なんのために長生きしたいのか。健康の先に何を見たいのか。その目標がはっきりしないと、ただの怠け者になってしまう」夢への挑戦に年齢の限界はない。夢への挑戦を続けている限り、健康で日々新しい自分がある。三浦さんの夢への挑戦に終わりはないようです。

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