2014年5月1日 第184話             


歩歩是道場

          一歩一歩が道場であり、
          日常の行動の一つ一つが仏行なり            

堀江貴文さんは、著書「ゼロ」で次のように語る


ものごとの出発点は掛け算でなく、必ず足し算でなければならない

 ホリエモンこと、堀江貴文さんは証券取引法違反の罪で2年6ケ月の実刑判決を受けて刑務所に収監された。刑務所の中で40歳の誕生日をむかえた。収監されていた1年9ケ月の間、「刑務所の中で、どんなことを考えていましたか」、「刑期を終えて出所したら最初に何をやりたいと思っていましたか」という問いに対しして、「僕は働きたかった」と答えた。

 出所した堀江貴文さんは、会社を失い、大切な人を失い、社会的信用を失い、お金を失い、ついにぜい肉までも失った。心身ともに真っ新なゼロの状態だ。久しぶりに経験するゼロは意外なほどすがすがしいと思ったと、心境を語られた。

 そして、みんな掛け算の答えを求めている。ゼロに何を掛けてもゼロのまま、ものごとの出発点は掛け算でなく必ず足し算でなければならない。まずはゼロとしての自分に小さなイチを足す、小さな地道な一歩を踏み出す、本当の成功とはそこから始まる。

 お金とは信用を数値化したものだ、だから、ほんとうに困ったとき、人生の崖っぷちに追い込まれたとき、失敗してゼロにもどったとき、あなたを救ってくれるのはお金ではなく、信用なのだ。ひとりだけ確実にあなたのことを信用してくれる相手がいる、それは自分だと、堀江貴文さんはゼロからの再出発の決意をされたのです。

できないという心のフタを外してしまえ

 堀江貴文さんは、仕事に没頭したら、仕事が好きになる。仮説を立て、実践し、試行錯誤を繰り返す、そして、達成可能なレベルの目標を掲げてそれに没頭する。やりがいとは見つけるものでなく、自らの手でつくるものだ、どんな仕事であっても、そこにやりがいを見出すことができる。

 刑務所における受刑者は懲罰としての仕事を課せられる、それが懲役です。刑務所の中での「与えられた仕事」であっても、「つくり出す仕事に変わっていく」、そこに仕事の喜びを感じることができたと、刑務所での体験を語っている。

 そして、やりたいことが見つからないと悩んでいるのなら、できないという心のフタを外してしまえば、やりたいことがあふれでてくる。できない理由から考えないで、できるという前提に立つことが大事なことだ。

 多くのビジネスマンは、自らの労働をお金に換えているのでなく、そこに費やす時間をお金に換えている。自分の時間を差し出しておれば給料がもらえるというのであれば、それは、仕事ではない。自らの給料を稼ぐという意識を持つべきだと堀江貴文さんは言う。

自らの生を充実させるために働くのだ

 堀江貴文さんは 「ゼロ」という本に次のようなことも書いている。
 仕事で失敗したり、恋に破れたり、いじめに遭ったり、友人と喧嘩したり、いろんなトラブルが待っている。そして壁にぶつかるたびに、人の感情はネガティブな方向に流れていく。愚痴をこぼし、社会を恨み、うまくいっている他者を妬むようになる。

 そうやってネガティブになっていったところで、ひとつでもいいことがあるのだろうか?。感情で物事を判断しないよう、感情が揺らぎそうになったときほど、理性の声に耳を傾けるべきだと言っている。

 また、「何が食べたいか」と聞かれたときに、「なんでもいい」と答える人は思考停止している人です。現状に満足してしまった瞬間、思考停止に突入してしまうから、常に新しい分野に目を向け、新しい出会いをつくり、新しい情報を浴びて、思考と行動をくり返すべきです。

 大切なのは自分の手で選ぶという行為です。悩みはつきないが、決断できなければ一歩が踏み出せません。挑戦し、全力で走り抜き、自らの生を充実させるために働くのだと堀江貴文さんは言う。

時間とは「命そのもの」

 堀江貴文さんは、いつも死の恐怖を感じているという。人はいつか死んでしまうから、それで「僕は死を忘れるために働き、死を忘れるために全力疾走し、死を打ち消すために生を充実させる」、時間とは「命そのもの」だから、仕事の質は、ひとえに集中力×時間で決まるのだと言う。

 そして、「過去を振り返っても事態は変わらず、未来におびえても先へは進めない」。人はいつ死ぬかわからないから、人生は今しかない。自らの生を充実させるために今、働くのだとも言う。

 さて、堀江貴文さんの「ゼロに小さなイチを足す」、「時間とは命そのもの」、「生を充実させるために今、働く」、というのを禅語にあてはめると、「歩歩是道場」ということでしょう。
 歩歩とは一歩一歩という意味で、行動する一歩一歩がすべて修行です。仕事でも、勉学でも、そのことに励み徹することが仏行です。日常の仕事や生活、行動の一つ一つがそのまま道場です。仕事も生活も、社会に身をおいて真実の人間を形成する真理探究の修行でしょう。

 「ゼロ」という本は堀江貴文さんが再出発をめざして、自らの決意を書きしるしたものでしょう。過去の反省において、非凡な才能を発揮され、社会の発展に寄与されることが期待されます。
 だれでも生まれたときはゼロだから、貪欲の心を離れて、いつもゼロからの一歩という気持ちを持ち続けて、自らの生を充実させるために、一歩一歩、足元をよく見て人生道場を歩みたいものです。

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