2014年8月1日 第187話             


盆会


          雨過ぎて 暑き日続く
          空の青冴え 蝉時雨
          門近く かがり静に燃え
          たのしく迎える 霊まつり
          ウランバナの 往古を偲び
          念い深き 亡き人まつる
          種ぐさの 供えは愉し
          棚飾る 心のたけぞ
          親しきは 在すが如く
                  仏教賛歌み霊まつり

      

精霊を迎える

 お盆の起源を2500年前のインドでのお釈迦様の頃にもとめる説があります。お釈迦様の弟子である目蓮尊者(もくれんそんじゃ)は、修行で体得した神通力により亡きお母様があの世で苦しんでいるのを知りました。
 そこでお釈迦様の導きにより、修行期間の終わりに修行僧に衣食を供養したところ、亡きお母様がその苦しみから救われたことが「仏説盂蘭盆経」に説かれており、それが仏教でのお盆の起源となっています。

 日本人の心情として、死者の魂である精霊(ご先祖様)は山の向こうに、海の向こうに、あるいは日の昇る東に、日の沈む西におられて、お盆には帰ってくると信じられてきました。この日本古来の精霊迎えの風習と、五穀豊穣と一家の安寧の祈願を合わせ行うようになったのがお盆のおまつりだという日本人の習俗説があります。

 お盆には盆棚を設けてお精霊さまを迎えます。その道中がよく見えますようにと迎え火を焚き、また送るときには送り火を焚きます。なんと心優しく、奥ゆかしいことでしょう。
 精霊棚を設けて精霊をお迎えしますが、亡き人の初めてのお盆は初盆(新盆)という。地域や慣習によって盆棚のまつり方はさまざまです。

 家族みんなで盆棚を準備してご先祖さまをお迎えします。お供え物やまつりごとのしきたりを通して、家族みんなが、ほのぼのとした幸せの実感を味わうことができる、これがお盆のおまつりです。命の不思議、命の尊厳、自然との関わり方、そして人生について、子も親もお盆のまつりごとから学ぶことがとても多いようです。

命をたたえる

 気の遠くなるような時間を経て地球上に進化をとげた命が今ここに、人間の私として存在しています。命の源であるご先祖さまから命が途切れることなく受け継がれて、今、自分の命があります。そして先祖の命を受け継いだ私が子孫に命をつなげていく。だから先祖迎えのおまつりであるお盆は「命伝えのおまつり」です。

 近代の科学は生命のナゾを遺伝子の研究により解き明かそうとしてきました。何億年、何万年の昔から、遺伝子を受け継いで進化し、一度も途切れることなく連続してきたのが私たちの命です。だからこの命の源、命の連続の軌跡がご先祖様です。
 この不思議な命の源・命の連続は人間の思慮分別を超えたものです。したがってご先祖様を「家の先祖」や「一族の先祖」などという次元からだけでなく、ご先祖様を地球生命・命の軌跡として理解したいものです。 
 「家や一族のご先祖様」のずっと先に命の源があり、そこから今に至るまでのあらゆる地球生命が連続しています。何億年、何万年もの時間を経た命の連続において、あなたも私も、そして生きとし生けるものみなが、かけがえのない存在として、命の支えあい、生かしあいのために、この世に生まれてきて、今、ここに生きています。

 だから、どんな命でも、たった一つ、たった一人で生き続けることはできない、必ず他の支え、他の犠牲によって、他との関係においてはじめて生きて行ける。このことに思いをはせるのもお盆でしょう。それで無縁仏にも、生きとし生けるすべてのものにも供養します。お盆は、共生きのすべての命をたたえるおまつりです。

精霊とふれあう

 お盆は死者の霊魂の存在を前提にして、精霊を迎えまつるという日本人の伝承のまつりです。私たち生者が亡き人を迎えるためにお盆棚を設けて「おもてなし」の心くばりをします。
 お盆の一時、目に見えないけれど、耳に聞こえないけれど、亡き人に語りかけ、亡き人との絆を意識します。死者の魂とのふれあいにより、死別の悲しみを乗り越えられるところに、現実の救いがあります。

 お盆には亡き人の精霊をお迎えして、あの世でなくこの世で共に一時を過ごします。盆行事を支えている観念と情緒は、自分の追憶の中に生きている今は亡き人へのやさしい心遣いです。盆棚に燈明をあげて話しかける時、亡き人やご先祖様との親密な関係がよみがえります。命の故郷に帰り、優しさの心を取り戻す一時がお盆です。

 生前に姑から受けたいやな思い出も、亡き人の傍若無人な振る舞いによる悲しかったことも、また、つらい介護の日々のことも、亡き人の魂とふれあうとき、そのことごとくがかけがえのない体験として受けとれて、もう遠い昔のことと、懐かしささえ感じるようになります。それは亡き人が成仏されて、生者をお守りくださる仏さまになられたからです。

 盆棚を設けてご先祖や亡き人を迎えまつるお盆のおまつりは地域によってちがいがありますが、近年この伝承のお盆行事が受け継がれなくなってきました。それは命の源であるご先祖や亡き人の精霊にふれ、優しさの心を取り戻す機会が持てなくなってきたということです。お盆を迎えて、精霊に手を合わせる時、今、生きていることを喜び、命を大切にして生きぬいていこうという思いを強くします。お盆は命をたたえるすばらしい日本の伝承行事です。

心静かなる

 古来より日本の家庭では、森羅万象により生かされているという思いから神棚を、命の源である先祖霊を尊ぶ心で仏壇をまつります。大いなる力に畏敬の念をはらい、天地万物やご先祖にご加護を願う、これが日本人の宗教です。

 大きな力のある神仏を信じて、目には見えない力に畏敬の念を表すことで、見守られているという安堵を得てきました。また、ご先祖様に顔向けできないようなことをしてはいけないということで、親は子に善悪を教えます。これが日本人の「恥の文化」であり倫理になっています。

 神仏をまつる家が安心できる居場所です。ところが神仏をまつらなくなった家庭が増えてきたということは、安心できる居場所がなくなってきたということでしょう。そのために、心地よい居場所であるはずの家庭が崩壊して、家族の絆が切れてしまった結果、さまざまな問題が生じています。現代人は安心できる居場所をなくしつつあるのです。落ち着ける居場所を持つことで、活き活きとした日常生活ができるのでしょう。

 ご先祖様は命の源です。綿々として絶えることなく命が子々孫々に受け継がれてきたから、今、私たちはこの世に生きています。命の源である先祖の霊を迎えて、亡き人の魂との心のふれあいによって、今生きていることを意識し、生きる希望を取り戻せる。精霊を送り終えたとき、心安らぐ居場所を再発見することでしょう。

戻る