2015年 4月1日 第195話             
人生は、今
 
   人が 「これは、わがものである」 と考えるものは、
   すべてその人の死によって失われる  スッタニパータ 
            

人の命とは

 人間、すなはち人の命とは、水素が半分以上(60.3%)を占め、酸素が25%、炭素が10.5%、窒素が2.4%と、この四種類の元素で98.9%を占める。そして、人体の化学成分比では、水分が60%、たんぱく質18%、脂肪18%、鉱物質3.5%、炭水化物0.5%です。つまり水分が全体の60%を占め、組織はわずか40%にすぎません。
 
 人間の体は父と母の出会いにより、たった一個の受精卵から始まって、三兆個にまで細胞が増殖して人として生まれる。成長して五十兆個~六十兆個の細胞より人体は成り立っている。そして一呼吸の間に、一千個の細胞が新しく生まれて、一千個の古い細胞が死んでいく。人体を構成する細胞は生まれたり死んだりして、常に新陳代謝をしています。

 人は外見で見ると老若、男女、人種のちがいがあり、容姿や人柄等々も異なるけれど、同じ人間です。また身分や貧富、国籍、宗教などというものは人間の尺度による解釈であって、人の命にちがいはなく、いずれも尊ぶべき身命です。

 人の命も、実在する命あるすべてのものも、瞬時たりとも同一のままでありえない。この真実の姿を、お釈迦様は諸行無常であるといわれた。人体は新陳代謝をしていますから常に新しい。けれども人はいつも新しい自分を実感していないかもしれません。そして人の命も、実在しているものいずれも生あるものは滅ありで、この真実の姿を、お釈迦様は諸法無我といわれた。

生き死は自然な姿です

 生まれてきたものは必ず死にます。死は消滅を意味するから、どんな生き物も死から逃れようとします。けれども生き死は自然な姿です。この世に存在するものは、瞬時たりとも同一のままでありえず、いかなる存在も不滅でないから、本来は空虚なものです。ところが人間は煩悩によって認識するから、生き死を自然な姿として受容できないようです。

 したがって、「私って、何のために生まれてきたのでしょうか。私って、いったい何のために生きているのでしょうか。」という疑問を自分自身に問いかけることがある。また、どうして人間は自ら死にたいと思ったりするのか、他の生き物は自死しないのに、なぜ人間だけが自死するのか。ふと、こんな疑問を感じることがある。

 「人は生きていく上で、水がなければ生きられないのに、人は生まれた産湯の水も、末期の水もその味を知らぬ。人はほんとうの水の味も知らないで人生を終えるのかもしれない」と作家の開高健さんが話していた。ほんとうの水の味を知らないとは、生まれたときのことを知らぬ、死ぬときのことも知らないで去っていく、これが人生でしょう。

 人は他の人の死を認識できても、自分の死を認識できないから、死を怖れるのかもしれません。それならば正直に死ぬのは嫌だ、もっと長生きしたいと思へばよい。そのためには生きていくことが辛いとか、生きることが苦しいなどと言わぬことです。生きることに楽しみと喜びをたくさん感じる、そういう生き方をすべきでしょう。

死の間際に語る言葉

 長年オーストラリアで終末期ケアに携わってきた看護師のブロニー・ウェアさんによれば、死を覚悟した患者さんのほとんどが後悔や反省の言葉を残すそうです。彼女は、患者さんたちが死の間際に語る言葉を聴きとり、「 死ぬ瞬間の5つの後悔」という本にまとめました。
 
 死を間近にした人たちはいったいどんな言葉を口にするのか・・・
 「自分自身に忠実に生きればよかった」
 「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」
 「もっと素直に自分の気持ちを表す勇気を持てばよかった」
 「友人といい関係を続けていればよかった」
 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」
 死の間際に語る言葉のトップ5はこういうものだったそうです。

 江戸時代に武士のあり方を説いた指南書として有名な『葉隠』に、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という有名な一節があります。この言葉は死を美徳とする考えだと解釈する人も多いようですが、新渡戸稲造は「いつでも死ねるという勇気こそ、正義の中で生きることを保証する」と説明しています。

 オーストラリアと日本とでは価値観が異なるかもしれません。「自分自身に忠実に生きればよかった」とか「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」などと後悔する人が多いという指摘は、今後の人生を考える上で、とても参考になる言葉です。「もしも明日、人生が終わるとしたら」と考えてみるのも悪くはないかもしれません。自分の人生において、何を大切にしたいのか、ヒントがみつかるかもしれません。

一瞬の命の輝き

 とかく人は自分の過去のことをいつまでも引きずってしまいます。過去の出来事は自分が今日まで生きてきたストーリーであり、今、そして明日へと新しいストーリーを自分が書き続けていく、そのように考える人は、前向きで過去を引きずらないでしょう。
 新しい私を生きるとは、過去にこだわることなく、いつも未来志向で「今」を生きる、「今」を生きることが、未来を生きることでしょう。

 死を覚悟した患者さんのほとんどが後悔や反省の言葉を残すそうです。それは、もっと生き続けることができるならば、という願望でもあるのでしょう。「今」、自分はどういう生き方をしたいのか、過去を引きずらずに、目標・目的をもって「今」を生きたいものです。
 時の流れの中にあって、「今」、新しい私を生きる、この一瞬の命の輝きに心ときめかせて喜びの心で生きることができれば、それが幸せということでしょう。

 人間という言葉の意味を広辞苑で見ると、最初に「世の中」とあります。人は世の中に生まれ、世の中で成長し、世の中で生きていく。だから世の中で必要とされる人間であるべきです。「自分が他から必要とされている、そういう生き方をしている」と実感できたら、それは幸せでしょう。「他者すなはち世の中に貢献する生き方」を目指そうと常に心がけたいものです。

 余命いくばくもないと医者に告げられると、それなりに心準備も出来るかもしれないが、多くの場合は死の時期などわかりません。だから常に「今」を生きるという姿勢が大切です。そして、「ちっぽけなものかもしれないが、世の中に貢献できる生き方ができた」と、死の間際に語れたら、自分の人生は幸せであったということでしょう。
 

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