2015年5月1日 第196話 |
命の姿 |
怒りを捨てよ、慢心を除き去れ。 いかなる束縛をも超越せよ。 名称と形にこだわらず無一物となった者は 苦悩に追われることがない。 法句経 |
5月は命の営みを身近に観じる季節です 5月は青葉若葉の季節です。さまざまな植物が芽を出し、枝葉を伸ばし、花を咲かせます。昆虫は蜜を吸って花粉を運びます。咲き終えた枝には実がつき、熟すとそれが他の生き物の食べ物となり、種子が運ばれて植物の子孫繁栄につながる。このように自然界では食物の連鎖が命の連鎖となり、生きとし生けるものの命を育みます。 この時期は命の営みを最もよく目にする季節です。鳥は巣をつくり子育てをします。昆虫も子孫繁栄のために活発に動きます。水中でもさまざまな生き物が躍動しています。動物も植物もこの季節には命が輝やいています。 神応寺の朝はツバメのさえずりで始まる。今年もツバメが飛来して玄関の室内灯の古巣を修繕しています。左官作業のように、土に枯草を混ぜ、こねて巣を作り、そこで卵を産み子育てをします。毎年こうしてツバメが寺の玄関に巣を設けています。 ツバメは雛を守るために、天敵であるカラスと蛇に襲われる危険性が低いということで、人が出入りする玄関にあえて巣を設けます。玄関の戸を四六時中開けておくことができないから、ガラスを外してツバメが自由に出入りできる進入口をつくっています。玄関先をツバメの糞で汚されるけれど、このご時世はツバメも住宅難のようです。 |
日本ミツバチ特有の繁殖形態 ミツバチにとって蜜源となる花がこの時期いっぱい咲くから、ミツバチは活発に活動します。野生種である日本ミツバチはその数が少なくなってきているそうです。それで神応寺では、日本ミツバチが増えるようにと境内に巣箱を置いています。日本ミツバチが巣をつくる場の提供です。 日本ミツバチ特有の繁殖形態である分蜂という動きがこの時期にみられます。在来種の蜂のほとんどは雌バチが一匹で越冬して、この時期になると巣を作り卵を産み働き蜂を生み増やし、やがて群れを形成していきます。日本ミツバチは越冬の食料である蜜を蓄えて、一匹の女王蜂と数千匹の働き蜂が群れで冬を越します。そしてこの時期になると分蜂します。ここが日本ミツバチと他の蜂とのちがいでしょう。 日本ミツバチは女王バチが生んだ子供の女王バチが育てば,親の女王蜂は群れの半分ほどを引き連れて新しい営巣地に移動します。これが日本ミツバチの分蜂です。数千匹の蜂の群れが羽音をたてて移動する様は圧巻です。親蜂と働き蜂の半分が巣から出た後は、子供の女王蜂は巣に残った働き蜂と同じ巣にとどまり活動します。 ツバメにとって日本ミツバチはかっこうの餌です。ツバメに空中捕獲される日本ミツバチのほとんどが働き蜂ですが、生まれたての女王バチは一生に一度の交尾のために巣から出て他の群れの雄バチと交尾して巣に帰り、働き蜂を産み続けるのですが、巣から出て飛んでいる時にツバメに捕獲されたら、女王バチとして子孫を残せないことになります。そういうことが起こりうるから、親バチの女王は後継の女王バチを複数産むようです。 |
五月病 花と緑いっぱいのこの季節は、ツバメやミツバチ、あらゆる生き物たちが子孫を残すために命を輝かせます。ところが人間は、この時期になると不安心や悩みで憂鬱だという五月病の人が多く現れます。四月になって新しく社会人になった人、仕事が変わった、移動があった、入学や進学、転居などがあり、うまく対応できないとか、生活環境の変化に戸惑を感じるのもこの時期です。 五月病というけれど、五月にかかわらず、年中悩み続けている人が多くなったから、最近では五月病も目立たなくなりました。 悩みの原因が人間関係だとするならば、どうすれば人間関係で悩まない、あるいは悩みの程度を深刻にしないようにできるかということです。そのために、人間関係において悩みの無い状態とはどういう状態であるかを想定してみるとよいでしょう。 人間関係で気まずいとは、どういう状態でしょうか。それは嫌うこと、憎むこと、批判すること、などですが、もっとすすむと、顔も見たくない、話たくない、その人の存在すら認めたくないと、激しい憎悪になってしまう。 ところが生きていく上で他の人と全く関係を持たないということはありえないから、人間関係はさけられないのです。では良好な人間関係を保つためにはどうすればよいのでしょうか。それは互いに必要な存在であることを認識すること、互いに生きていく上でのかけがえのないお互いであることを認め合うことでしょう。 自分が他から必要とされていると実感できれば、「そうなんだ」と、自分の存在を自分自身で認識できます。すると、自分は他から必要とされているという喜びの気持ちがうまれるでしょう。さらには、自分が他の役に立っている、世の中に、社会に、職場で、地域で、所属している組織で学校で、何かのお役に立っている、何かの貢献をしているのだと思えれば、人間関係での悩みは消滅していくでしょう。 |
自己の存在にとって、他が必要である この世の中の何もかもが、それぞれの存在にとって、他の存在が必要なのだと理解できればよいのでしょう。たとえば、食物連鎖ということからすれば、植物と昆虫の関係において、モンシロチョウはキャベツとか菜の花のような野菜に卵を産み幼虫は成長する。アゲハチョウはミカンなどの柑橘類に卵を産み幼虫が成長する。蝶々といえどもそれぞれ相性があるようです。花の蜜を吸うミツバチは花から蜜をもらうことによって、花の受粉をもたらします。多様な生物が存在できるのは、自然界に多様性があるからでしょう。 生老病死は人間の悩みですが、自然界においてはごく自然な命の姿です。人間には損得心や競争心があるけれど、自然界にはそれぞれの生物が子孫を残すための生き残りの攻防があるだけで、損得心や競争心はありません。人間は、自然界は弱肉強食の世界であるという偏見をもっていますが、自然界には不思議なバランスがあり、それぞれの存在の多様性が保たれています。 ウジ虫とかゴキブリは気持ちが悪いから、殺してしまいたいと思うかもしれません。恐ろしい毒蛇はこの世から消えてなくなればよいと考えるかもしれませんが、一つの生き物の存在は他の生き物の存在につながっていますから、ウジ虫の存在が私自身の存在に無関係でないのです。目には見えない微小生物の存在が多くの生き物の命を支えています。だから目に見えない生き物もかけがえのない存在です。 この世の中は絶対にたった一つでは存在できない世界です。仏教ではものごとの存在について縁起の真理として様々な関係があるところに様々な存在が可能となるから、何一つとして無関係でない、そんなつながり関係において、すべての存在があると説きます。 万物生命の支え合いがこの世の姿であることに思いをめぐらすと、命の尊さが認め合えるでしょう。人間関係の悩みの解消も、地球環境の保全も、戦争やテロをなくすことも、生きとし生ける万物生命の共存が根本であることを認識すべきだということでしょう。 |