2015年7月1日 第198話             
             非風非幡
 
     是れ風の動くに非ず、是れ幡の動くに非ず、
     仁者の心動くのみ     (無門関)
             

目の前の事象に心奪われると、正しい判断を見失う

 戦後70年を迎えて総理大臣が世界に向けて談話を発することが話題になっています。過去の不幸な出来事である戦争についての再認識と、戦後日本がどのように歩んできたのか、これから世界とどのように向きあっていくのか、そうしたことを日本国総理大臣が表明する談話に諸外国から関心が集まっているのです。

 先の戦争は日本の支配地拡大を目的とした侵略的行動であったこと、その戦争により計り知れない人命が失われたという事実は否定できません。戦後70年を経ると、戦争の悲惨な体験を語れる人も少なくなってきました。そうした時に安保関連法案が今国会で審議されています。

 日本は国際社会の一員として国際紛争やテロの脅威と無関係ではいられません。世界の平和安定と、紛争の終息、難民の救済、復興支援等にどのように国際社会で貢献できるのか、国際情勢が刻々と変化をしていく中で常に難しい選択がせまられる。その時々にどう対応するのか、平和を希求する日本として国際平和貢献の基本的信念と姿勢を確立しておかねばならないでしょう。

 安保法制が憲法に合憲か違憲か、不戦主義を貫きたい日本が国際平和に貢献するための安保関連法案であるかどうかが問われています。そして、それは平和を希求する国民の願いとかけ離れたものであってはならないのです。

杖に執着しなければ、つまずき転ぶこともない

 いかなる国も自衛権の行使が認められるが、それが戦争につながる事態になれば多くの人命が失われる。したがって、戦争にならぬように争いの原因をつくらない、そのための日ごろの努力の積み重ねこそが自衛権の行使でしょう。

 そんな弱腰では緊張状態が生じても乗り越えられるのか、国の安全が保てるのかという主張がありますが、戦争を起こさないためのあらゆる手だてを常に講じておくこと、諸外国との信頼の絆を強くしておくことが最強の自衛力です。自国の安全は武力により保たれるというのであれば、武力保持の競争に際限がありません。親密な国際関係を保つことに費やされる積極的外交こそが真に効果ある国防費といえるでしょう。

 私たちは物事を相対的にとらえようとして対立的な区別をして理解しがちです。とかく自分の思いのもとに判断してしまうと、それが誤っていようが正当であると思いこんでしまいます。杖を頼りにすると、杖に執着してしまい、逆につまずかないかと杖がさらに必要となる。けれども杖に執着しなければ、足元をすくわれることもなく、杖など無くても大丈夫です

 人と人との関係においても、日頃のおつきあいが親密であれば気心がお互いに知れているので問題が起こっても、すぐに折り合いがつけられる。けれども親しくしていないとお互いの執着心から相手の気持ちや考え方が即座に理解できないので、争いになってしまいます。日頃の積み重ねがどれほど大切であるかということでしょう。国と国との関係においても同じことがいえます。積極的外交による親密な国際関係の構築こそが最強の自衛力です。

執着心を離れたところに実相が現れる

 とかく物事を認識するのに、白と黒、善と悪などと比較・相対でとらえがちです。比較・相対で認識すると、白は善で黒は悪だというような価値判断を下してしまいます。このように区別あるいは区分してばかりいると、全体的な判断ができないで批判的に考えたり、観念的になりがちです。
人はややもすれば主観にこだわり、自分の選んだものに執着して、それ以外は疎外しようとします。

 物事の認識において、明と暗といっても一方が明るければ一方は暗しで明暗は一つのものであるのに、一方に執着しすぎると他も全体も見えなくなる。だから何ごとも、ものごとの本質からずれないように心がけるべきです。白は善し、黒は悪しということでなく、黒も白もいずれでもよしとか、灰色もよしということもあるはずです。

 今、世界のどこかで戦争やテロが起こっている。6千万人の難民が飢えと貧困と恐怖の日々を余儀なくされています。世界の平和安定のために紛争の回避、難民の救済、復興支援等に日本が世界でどう行動すべきかが問われている。国民の安全と利益を守ることも大切ですが、安保法制化は国際平和に貢献するものでなければならない。

 自分の立場で物事をとらえると、執着心から目の前のあらゆるものが、自分との相対として受けとめてしまいます。けれども小さな自己という執着心を離れると天地いっぱいの世界が現れます。比較・相対で認識すると、ものごとの本質を見誤ることがある。だから国の自衛や国際的な問題についても、相対・二元的な認識を超えて、より高い立場で理解しようとする姿勢が望まれます。

仏教では相対・二元的な認識を超えることをめざします

 日本は戦後70年にわたり平和が保たれてきた、世界でも稀な国です。それは戦争の悲惨さを体験したので平和を希求する気持ちが強いからでしょう。そして世界の平和に貢献するという気持ちも忘れなかった。

 どの国の人々でも平和を願い、争いのない世の中にしたいという願いは同じです。支配、敵対、憎悪、貧困の連鎖を断ち切るために相対・二元的な認識を超えて、人類は同胞であるという精神を共有すべきです。そしてなによりも、民族、宗教、国境を越えて、命の尊厳が声高に叫ばれるべきでしょう。

 個人でも、国家でも、自己という立場で物事をとらえると、目の前のあらゆるものを相対として受けとめてしまう。けれども自己という執着心を離れると天地いっぱいの世界が広がる。
「是れ風の動くに非ず、是れ幡の動くに非ず、仁者の心動くのみ」とは、相対・二元的な認識を超えて、何ごとにも執着しない生き方を表した言葉です。世界の中の日本の進むべき方向を選択することにおいても通じることでしょう。

 自国の利益ばかりを優先すると世界人類同胞の精神が萎縮してしまいます。日本は戦後70年にわたり戦争をしなかった世界でも稀な国です。戦後70年を迎えて総理大臣が「恒久不戦の誓い」を談話として世界に向けて発して、命の尊厳を根本とする世界人類同胞精神にもとずく行動の範を世界に示すべきでしょう。

戻る