2023年3月1日 第290話
             
生死去来

   仏となるに、いとやすきみちあり、
   もろもろの悪をつくらず、
   生死に著󠄂するこころなく、一切衆生のために、
   あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、
   よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、
   心におもふことなく、うれふることなき、
   これを仏となづく、又ほかにたづぬることなかれ。
                  
正法眼蔵・生死


死があることの本当の理由

 この世で誰もが同じだということの一つが、自分の死を経験するということです。けれども、他人の死を認識できても、自分の死は認識できないのです。そして、どんなにお金があっても、地位が高くても、幸せな家族にめぐまれているとしても、死の前にはなにもできません。ただ一人黄泉に赴くのみです。

 死は肉体の消滅だけでなく、自分の意識、記憶、感情などもすべてなくなってしまいます。さらには、死とはこういうものであると、自分の体験を語る人もいないから、死後の世界を知るよしもなく、死に対してとても恐怖を感じるのです。
 では、なぜ人間を含めて、全ての生物は死をむかえるのでしょうか。死があるということの本当の理由とは何なのでしょうか。近未来において、さらに高度な知恵や技術を得ると、人間は死を避けることができるのでしょうか。

 この地球上に生命が最初に誕生してから数億年の間は、死なない生物が多数存在していたそうです。それらのほとんどが単細胞生物で、繁殖方法は、一つの細胞が二つの細胞に分かれる細胞分裂です。母細胞の全てを受け継いで、二つの細胞がこの世に誕生します。分裂した細胞はいずれもが、もとの母細胞と変らないので、母細胞は死んだということにならないのです。したがって外的要因などで消滅しない限り、寿命による死はないのです。

 単細胞生物よりすこし進化した生命体である大腸菌も繁殖方法は細胞分裂で、一つの細胞が二つの細胞に分かれるが、寿命がきて自ら死ぬことはない。人間の細胞も大腸菌のように倍々ゲームで増えていきますが、細胞分裂に限界があり、ある決まった回数分裂すると増殖しなくなり、やがて寿命により死んでいく。このことによって、健康な遺伝子が代々引き継がれて、種族が絶滅せず永らえるということです。

寿命という制限

 死があることによって、有害物質を引き継いだものが死んでいくから、良質な遺伝子を受け継ぐ確率が高められる。寿命という制限があることで、より優れた遺伝子の生き残る確率を高め、環境の変化にも適合して、生命体は進化してきました。
 生物界において、個体に寿命がある種族は、そうでない種族よりも、確実に強い競争力をもっています。単細胞生物が食物連鎖の最下位にいるのも、そういうことでしょう。


 有性生殖で繁殖しているといえ、子孫が同じ遺伝子をもつ先代と繁殖すると、ダメージを受けたDNAやタンパク質などの有害物質を種族の中で蓄積することになるから、これを避けるために、人間も、そしてさまざまな動物も、寿命という制限がかかっています。
 個体の繁殖の目的とは個体の継続でなく、優れた遺伝子の継代にあるということです。
なぜ遺伝子が個体に死をもたらすのか、その意味がここにあるのでしょう。

 老化による死のメカニズムとは何でしょうか。そのメカニズムは完全に解明されていませんが、染色体にあるテロメアという構造と大きく関わりがあるというのです。テロメアは染色体にある遺伝子情報を保護する役目を担っているそうです。細胞分裂を重ねていくにつれてテロメアが短くなっていき、一定の限界を超えると、その細胞は死んでいく。その数が増えるにつれて老化が進み、寿命をむかえるのです。
 癌細胞が無限に増殖するのは、癌細胞のテロメアは、ある特殊な酵素によって常に修復されるからです。老化のメカニズムが解明されていくと、人間はこの寿命という制限を先延ばしすることになるのでしょうか。そうなれば人の生き方も変わるでしょう。

 人間にはさまざまな欲があります。それらの欲は人間の身体の中のホルモンによって引き起こされるそうです。男女が愛し合うというのもそれによるからです。人間の欲はホルモンによって引き起こされているけれども、ただ単にホルモンによるだけでなく、その人の精神状態とも深く関わっています。はたして、さらに高度な知恵と科学技術を身につければ、人間は寿命という制限からのがれることができるのでしょうか。だが、いつまでも死なないということは辛いことかもしれません。

利己的な遺伝子

 生命体は遺伝子の継代のための道具として、数十億年の間に遺伝子は子孫繁栄の道具を単細胞生物から人間にまで発達させました。遺伝子が唯一関心をもつのは種族の遺伝子の継代です。
しかし現代の人々の中には遺伝子を残すことに関心のない人もあり、子供をつくるという選択をしない人も多くいます。それで、遺伝子は人間に寿命という制限をかけているのかもしれません。

 寿命という制限をかければ、このような不従順な行動を抑えられる。また人間は死の恐怖を抑えるために自然に子孫をつくってしまうことにもつながります。これは遺伝子に私たちは操られているとしか思えません。遺伝子はただの遺伝情報が載せられているDNAという分子ですが、なぜこのように遺伝子が生きものたちをコントロールすることができるのでしょうか。それは、とても不思議なことです。

 さまざまな出来事の経験を重ねるごとに、ホルモン分泌の敷居も高くなっていきます。ということは、長く生きているとそれだけ多くのことを経験することになるから、ホルモン分泌の敷居が高くなって、生きる意欲もなくなっていくということでしょう。またホルモンの分泌を高める技術が進んだとしても、人間の脳には一定の上限があり、脳の機能が衰えてくると、認知能力も低下します。したがって、高度な知恵と科学技術を身につけた人間であっても、寿命という制限からのがれることができないのです。

 遺伝子は個体の継続でなく、遺伝子の継代のために、寿命という制限をもうけたということです。ですから、遺伝子はとても利己的であるということです。私たちは利己的な遺伝子により操られているのであれば、私たちの身体は遺伝子の継代のための道具にすぎないということです。


遺伝子は仏なり

 新型コロナウイルスが感染拡大して地球上のほぼ全域でその影響は多大なものとなりましたが、ようやく収束のきざしが見えてきました。
 RNAの遺伝子しかもたないコロナウイルスは自己増殖できないから、DNAの遺伝子をもつ生物である人間の体内に入り込んで増殖する。それで、人類は適合するワクチンをつくり出して、感染を防ぎ、重症化しないよう対策を講じて、目に見えないコロナウイルスの恐怖と対峙してきました。遺伝子レベルの戦いであり、変異株が次々に現れてきたが、弱毒化させることができたのです。ウイルス菌を撲滅したのではなく、それとのつき合い方において、人類がうまく振る舞えるようになったということでしょう。


 生物の個体は遺伝子の継代のための道具であり、私たちは遺伝子によって操られているということならば、人間の意識にかかわらず、生きているということのすべてが遺伝子に操られているということになります。人間がコロナウイルスと戦ってきたことも、遺伝子継代のための遺伝子の操りであるということかもしれません。
 寿命という制限をかけられ、遺伝子に操られている命であるとしても、自分が満足できる生き方をしたいと人は思います。よりよく生きようとする欲だけは捨てがたいのです。
 ロシアのウクライナ侵攻により、多くの命が失われています。その戦争は一年を経ても泥沼化して、終わりがみえないのです。これは遺伝子に操られているのではなく、人間の愚行であって、遺伝子の継代を妨げているのです。

 生物の個体は遺伝子の継代のための道具であり、寿命という制限がかかっている。これが生死のすべてであり、真理であると理解できれば生死を厭うこともなく、思いまようこともないのでしょう。
 道元禅師の正法眼蔵・生死の巻きに、「生死の中に仏あれば生死なし」「生死の中に仏なければ生死にまどはず」とあります。生死がそのまま仏(真理)であるから、生死に迷い執着するなにものもないと説かれました。

 お釈迦様は、人は生れながらに仏であるといわれた。そうであるならば、遺伝子そのものが仏であり、人は遺伝子に操られている仏であるということでしょう。生物の個体は遺伝子の継代のための道具であり、寿命という制限がかかっているならば、なおのこと、優れた遺伝子を継代しなければ、この世に生れてきた意味がないということです。ですから、人は生れながらに仏として、仏である生き方をしなければ幸せな人生にならないということでしょう。

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