2024年5月1日 第304話
             
自分

     波も引き 風もつながぬ 捨小舟
       月こそ夜半の さかひ成りけり 
道元禅師
 

  皎々とした月あかりのもと、乗り捨てられた小舟が一艘漂っている
 人はだれでも波風の立たぬ平穏な日々を願っているが、一寸先はわからない。


不思議な会話

 これはたぶん関西のみの表現だろうと思われますが、お互いの会話で相手のことを自分という。これは関西弁、しかも京阪神方面でのみ使われる会話の中でのことでしょう。たとえば親しい友達との会話で、食事に行きませんかというとき、貴方は何が食べたいですかと、尋ねるのに「自分は何が食べたいですか」と相手にこのように聞くのです。

 そしたら、その相手である友達が私に対して「自分は何が食べたい」と私に聞き返すことがあります。それで私はカレーがいいかなと答えると、その相手は、自分も、すなわち私もカレーがいいね、などと答えて、ともにカレーを食べに行くことになる。こういうやりとりがあるのです。

 相手の意識や考え、方針などを質問するのに、親しい友達である相手を自分と表現する。ただしごく親しい間柄でなければ、相手のことを自分と言いません。貴方とか、その人の名前で会話をします。親しき間柄でのみ、一人称も二人称も同じ自分と表すことで、親近感をより高めているのでしょう。

 このように親しい間柄での会話で、たとえば三人いたとしても、互いに相手を自分と名指しして、おたがいの自分が語り合うという、関西弁ならではの不思議な会話風景があります。主体も客体もないのです。親密な間柄では、あえて貴方とか私などといわずに、自分という言葉のみで、互いの意思疎通が成立するのです。

生れる、そして、生きる

 では自分とは何なんだろうかと、ふと思うことはだれにでもあるでしょう。「生」という字は、植物の種が芽吹き、地上に芽を出し、土に根を張り発育する姿をあらわしたものだそうです。人が生れるとは、母親から産まれることであり、養い育てられるということです。そして人として成長して、人間としてさまざまな関わりあいのもとに生きます。ですから「生」という字は、生れる、生きる、ということを意味します。

 生れてくるということは、自分の意思でこの世に誕生するというものではありません。ものごころついた頃になって親を知り、成長するにともない自分という存在を意識します。この世に人として生れてくることは得がたい縁によると、道元禅師は人身得ること難し、今、最勝の善身を得たりといわれました。

 世の中はすべてが縁起によることを、お釈迦さまはさとられました。何ごとにも因縁により、果報として、ものが生れ、ものが滅するということです。ですから父母の出会いがあり、その縁による果報として自分がこの世に人として生れてきたということです。
 生きるとは、生きながらえるということだから、人生に処する態度・方法ということでしょう。それは生き方であり、生活の方法です。生きるという意味は生き方ということでしょう。


 生きるために食べるということは、エネルギーを得るということのみならず、人体である肉体の新陳代謝、つまり分子の置き換えでもあるから、したがって人体は流動体であるということです。健康であれば体重は変わらないけれど、増減が著しいとなれば、体調不良または老化の進行ということです。

生かされている

 私たちの身体は自分で意識しなくても、心臓は動いて血液を循環させてくれる。食べ物は胃が消化して、腸が栄養分を吸収してくれる。呼吸では、肺は酸素を吸収して二酸化炭素を吐き出してくれる。呼吸さえも自分は意識していない。腎臓や肝臓、その他の臓器も自分の意識のもとにはたらいていないのです。自律神経のはたらきによることから、自分の意識のもとに生きているということでなく、生かされているということでしょう。

 生かされているということにほとんど気づかず、またそのように思うこともなく自分は日々生活しています。それで我儘な自分は暴飲暴食や、不規則な生活ぶりをしてしまうことになり、それがもとで体調不良をきたすのです。そして病になってはじめて自分の乱れた生活ぶりを反省することになりますが、病気が平癒するとまたすっかり忘れて自分というお体様を気遣うこともしないのです。

 生命体は遺伝子のはたらきによって命の受け継ぎがなされるということです。父母のそれぞれの遺伝子の結合という縁により新たな生命体としてこの世に誕生する。生命体は誕生したときにすでに寿命という制限がかけられているから、いずれ死ぬということが決まっているのです。ですから、生命体とは遺伝子の受け継ぎの道具(乗り物)であり、生れること、生きていることも利己的な遺伝子に操られているのかもしれません。自分の身体とは使い捨ての遺伝子の乗り物にすぎないのでしょう。

 利己的な遺伝子はわがままに暴走します。人間にはさまざまな欲があります。その欲のはたらきが煩悩というもので、この煩悩により生きる意欲も、悩み苦しみもうまれるのです。
 自律神経の働きにより副交感神経との作用により生きていける。不健康な生活を続けていると自律神経が失調します。たとえば睡眠不足が続くとか、栄養の偏りが著しいとか、ストレスで神経過敏になるとか、不安定要因が重なると、副交感神経の許容能力を超えてしまうから、病になってしまいます。ですから、生かされているということを自覚せよということでしょう。

生かし合う

 自分の身体は自分で健康を保つことを常に心がけておけばよろしいが、自意識のもとに自分の力で生きているという傲慢さが自分をダメにしてしまうのです。したがって、生かされているという謙虚さがなければいけないのでしょう。なぜならば、自分の身体はいかされている宇宙からの預かり物であるのに、身勝手に自分本位で生きようとするのです。

 世の中はすべてが縁起によることから、縁起により生れ、縁起により滅する。因と縁の絡み合いにより生れ、滅するから、世の中はすべてが関係することで成り立っている、ことごとくがつながっているということです。したがって自力で生きているようであっても、生かし合い、生かされ合っているということでしょう。

 ことごとくが関係により成り立っているということは、一切世界は共同体であり、それぞれが共同体に生きる仲間であるということです。この共同体の世界は一粒の輝く珠であり、自分も輝く珠の一つであるということで、自分を卑下することなく尊ぶべしということです。そして、共同体だから、一人一人が共同体に生きる仲間である。ですから共同体に貢献することが生きる意味だということでしょう。

 この世とはことごとくが関係により成り立っているところです。つながっているから不必要なものもなく、ことごとくが必要だからこの世に生れてきたのでしょう。あなたも私も何もかもがこの世に必要な存在であるから、関係しながら、今、生かされているということです。
 世の中はすべてがつながって生かされあっているから、自己中心の欲望のままに生きようとすれば、生きずらさを感じるのです。自分の利を得んと欲すれば、他を利するべし。すなわちこの世は利他でなければ息苦しいところだから、他の役に立つこと、他から必要とされる存在であること、他に貢献することで、真の幸せが得られるのでしょう。

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