2025年10月1日 第321話
             
寿命

    ただ生死すなわち涅槃とこころえて、
    生死としていとふべきもなく、
    涅槃としてねがふべきもなし、
    このとき、はじめて生死をはなるる分あり。
                     正法眼蔵・生死


死があることの本当の理由とは

 今年の9月15日の敬老の日に総務省が公表した人口推計によると、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合が29.4%で過去最高を更新したと報じられました。おおよそ3人に1人が65歳以上という、日本は長寿社会です。百歳以上の人も9万を超えました。しかし永遠に生きられるということはありません。なぜ人間を含めて、全ての生物は死をむかえるのでしょうか。死があるということの本当の理由とは何なのでしょうか。近未来において、さらに高度な知恵や技術を得ると、人間は死を避けることができるのでしょうか。

 人生最大の不思議であり課題というのは、生れてきたら必ず死ぬということです。子供の頃は死を深く意識することがないから、恐怖と感じないけれど、成長するにつれて肉親や他人の死を目にすると、人は死に対して関心をいだくようになります。老若にかかわらず、人間は死を意識します。けれども、他人の死を識ることができても自分の死を識ることはできないのです。だから死を恐れるのかもしれません。

 死は肉体の消滅だけでなく、自分の意識、記憶、感情などもすべてなくなってしまうのでしょう。さらには、死とはこういうものであると、自分の体験を語る人もいないから、死後の世界を知るよしもなく、死に対してとても恐怖を感じるのです。そして、死の恐怖からのがれるすべがあるのだろうかとも思うのです。

 老いと病についても、死につながることから恐れます。すなわち生老病死を苦ととらえるのです。私たちは生老病死というのがれられないことに対して、不安な気持ちをいだきます。どんなにお金があっても、地位が高くても、幸せな家族にめぐまれているとしても、死の前にはなにもできない、ただ一人黄泉に赴くのみです。

寿命という制限

 死があることによって、有害物質を引き継いだものが死んでいくから、良質な遺伝子が受け継がれる確率が高まります。寿命という制限があることで、より優れた遺伝子の生き残る確率を高め、環境の変化にも適合して、生命体は進化してきました。
 生物界において、個体に寿命がある種族は、そうでない種族よりも、確実に強い競争力をもっています。単細胞生物が食物連鎖の最下位にいるのも、そういうことでしょう。

 有性生殖で繁殖しているといえ、子孫が同じ遺伝子をもつ先代と繁殖すると、ダメージを受けたDNAやタンパク質などの有害物質を種族の中で蓄積することになるから、これを避けるために、人間も、そしてさまざまな動物も、寿命という制限がかかっています。
 個体の繁殖の目的とは個体の継続でなく、優れた遺伝子の次世代への引き継にあるということです。なぜ遺伝子が個体に死をもたらすのか、その意味がここにあるのでしょう。

 老化による死のメカニズムとは何でしょうか。そのメカニズムは完全に解明されていませんが、染色体にあるテロメアという構造と大きく関わりがあるというのです。テロメアは染色体にある遺伝子情報を保護する役目を担っているそうです。細胞分裂を重ねていくにつれてテロメアが短くなっていき、一定の限界を超えると、その細胞は死んでいく。その数が増えるにつれて老化が進み、寿命をむかえるのです。
 癌細胞が無限に増殖するのは、癌細胞のテロメアは、ある特殊な酵素によって常に修復されるからです。老化のメカニズムが解明されていくと、人間はこの寿命という制限を先延ばしすることになるのでしょうか。そうなれば人の生き方も変わるでしょう。

 人間にはさまざまな欲があります。それらの欲は人間の身体の中のホルモンによって引き起こされるそうです。男女が愛し合うというのもそれによるからです。人間の欲はホルモンによって引き起こされているけれども、ただ単にホルモンによるだけでなく、その人の精神状態とも深く関わっています。はたして、さらに高度な知恵と科学技術を身につければ、人間は寿命という制限からのがれることができるのでしょうか。だが、いつまでも死なないということは辛いことかもしれません。

利己的な遺伝子

 
生物の個体は遺伝子の乗り物であり、生命体は遺伝子の継代のための道具として、数十億年の間に遺伝子は子孫繁栄の道具を単細胞生物から人間にまで発達させました。遺伝子が唯一関心をもつのは種族の遺伝子の次の代への引き継ぎです。しかし現代の人々の中には遺伝子を残すことに関心のない人もあり、子供をつくるという選択をしない人も多くいます。それで、遺伝子は人間に寿命という制限をかけているのかもしれません。

 寿命という制限をかければ、このような不従順な行動を抑えられる。また人間は死の恐怖を抑えるために自然に子孫をつくってしまうことにもつながります。これは遺伝子に私たちは操られているとしか思えません。遺伝子はただの遺伝情報が載せられているDNAという分子ですが、なぜこのように遺伝子が生きものたちをコントロールすることができるのでしょうか。それは、とても不思議なことです。

 生きているとさまざまな出来事の経験を重ねるごとに、ホルモン分泌の敷居も高くなっていきます。ホルモンの分泌の敷居が高くなるけれど、それとても限度がある。老化とは次第にホルモン分泌度が低下していくということでしょう。長く生きているとそれだけ多くのことを経験することになるから、ホルモン分泌の敷居が高くなって、生きる意欲もなくなっていくということでしょう。

 ホルモンの分泌を高める技術が進んだとしても、人間の脳には一定の上限があり、脳の機能が衰えてくると、認知能力も低下します。したがって、高度な知恵と科学技術を身につけた人間であっても、寿命という制限からのがれることができないのです。
 遺伝子は個体の継続でなく、遺伝子の次の代への引き継ぎのために、寿命という制限をもうけたということです。ですから、遺伝子はとても利己的であるということです。私たちは利己的な遺伝子により操られているのであれば、私たちの身体は遺伝子の次の代への引き継ぎのための道具にすぎないということです。 遺伝子によって後世に命は伝承されていく。ですから命の根本は遺伝子であるといえるでしょう。

遺伝子は仏なり

 生命の根本をつかさどっているのが遺伝子です。より優れた遺伝子が代々引き継がれて、種族が絶滅せず永らえるということ、これが生命存続の大いなる意味でしょう。であるから、生物の個体は遺伝子の乗り物であり、遺伝子の引き継ぎのための道具であるということでしょう。そして、優れた遺伝子が受け継がれていくために、生物の個体には寿命という制限がかかっている。これが生死のすべてであると理解できれば生死を厭うこともなく、生老病死を苦と思うこともないでしょう。

 人体は遺伝子の乗り物であり、遺伝子が代々引き継がれていくための道具にすぎない、それが命です。命は細胞の集合体であり、細胞が新陳代謝している状態が生きているということです。そして、私たちは遺伝子によって操られているということならば、人間の意識にかかわらず、生きているということのすべてが遺伝子に操られているということになります。
 寿命という制限をかけられ、遺伝子に操られている命であるとしても、自分が満足できる生き方をしたいと人は思います。よりよく生きようとする欲だけは捨てがたいのです。

 正法眼蔵・生死の巻きに、 「ただ生死すなわち涅槃とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし、このとき、はじめて生死をはなるる分あり。」とあります。生死がそのまま仏(真理)であるから、生死に迷い執着するなにものもないと道元禅師は説かれました。
 悩み苦しみのもとである煩悩が消滅したところを涅槃という。人間の意識も、生きているということのすべてが遺伝子に操られているということであれば、生死に迷い執着するなにものもないということでしょう。

 寿命とは、命がある間の長さのことであり、生まれてから死ぬまでの時間のことです。お釈迦様は、人は生れながらに仏であるといわれた。そうであるならば、遺伝子そのものが仏であり、人は遺伝子に操られている仏であるということでしょう。したがって命が尽きるまでに優れた遺伝子を次代に継承しなければ、この世に生れてきた意味がないということです。

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