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池泉の庭   京都嵯峨嵐山の西 亀岡 
花の寺 茶花 花の寺 石仏庭園

曹洞宗

京都 亀岡 曹洞宗
 
 竹林自知百卉長  
 ちくりんおのずからしる ひやつきにちょうたるを

神応寺 竹徳五訓

 竹の子の如く生き生きと

 竹まっすぐが如く実直に

 竹しなるが如く柔和に

 竹節の如く節度あり 

 竹根の如く繁茂せん  

竹の里


渋紙の彫り絵

彫絵
南無観世音菩薩
庄野八郎作渋紙の彫絵
五十年にわたる京染型紙彫りの技法が仏画に、
庄野八郎氏の作品を本堂に常設展示しています
   
 
丹波七福神 第一番 毘沙門天

花の寺 石仏庭園 神応寺

 京都府亀岡市千歳町毘沙門奥条17
      瑞雲山神応寺 住職 安達瑞光

  TEL 0771-22-1896
  FAX 0771-22-6896

  mail@jinnouji.com
JR嵯峨野線(山陰本線) 亀岡駅下車北へ4キロ
嵯峨嵐山への船下り保津川下り乗船場より車で5分
 
 
   
 

 
  仏教は仏の教えであり 仏となる教えです 日常生活に潤いと安らぎを 
お釈迦さまは、何を悟られたのか・・・


 お釈迦さまはご出家されて6年もの間、難行苦行をされたそうです。けれども、苦悩を消滅することができなかったのです。それでその行を離れられて、ひたすら坐禅を行じられました。 坐禅を行じていることが、 そのままに苦悩の消滅であることに気づかれました。

 お釈迦様は菩提樹の下で坐禅をされていました。天空に輝く星々も、地上の山川草木も、ありのままに、そのままに、それぞれのすがたが露になっているではないかということに気づかれた。このありのまま、あからさま、露であることは真理の現れであり、真理そのものであることをさとられたのです。
    
 お釈迦さまが坐禅をされているところ、そこは宇宙です。そのままが真理に満ちあふれたところです。星の輝き、山川草木、生きとし生けるもの、ことごとくが、宇宙の真理そのままのあらわれである。 そのことを悟られたのです。「我と大地有情と同時成道す」これがお釈迦樣のお悟りです。 宇宙は時間であり、宇宙は存在です。この時間と存在が真理であり、真理が露わなるものが仏です。
    
 この世のことごとくが同じ姿を止めているというものは何一つとしてありません。すべてが移り変わりゆくものばかりで無常です。すなわち諸行無常であると、お釈迦様は教えられました。
    
 この世に存在するものは何もかもがつながっています。何一つとして、それのみで存在しているものなどありません。そのつながりにおいて生まれ、つながりがなくなれば滅する。一切のものは諸々の原因と条件のもとで(縁起により)成立している。すなわち諸法無我なりと、お釈迦さまは教えられました。

 宇宙の真理を仏性といいます。その仏性が露わになった存在が仏です。この世は仏性で満たされた世界であり、ことごとくの存在が仏であるから、お釈迦さまは、この世は涅槃寂静の世界であると教えられました。涅槃寂静とは煩悩の炎の吹き消されたさとりの境地で、悩みも苦しみもなく、心静かで安らかであるということです。ところがそのように思わないのが人で、一切皆苦の世界に生きていると受けとめてしまう、 これが凡夫の姿でしょう。
    
 人は涅槃寂静の世界に生きていることさえ知ろうとせず、悩み苦しみを自分で招いているようです。尽きることのない欲望の現れである煩悩のために、迷い苦しんでいます。それで、煩悩の炎を滅除しなさいと、お釈迦さまは教えられました。煩悩の炎を滅除した姿勢が坐禅であり、坐禅するところ仏性が露わです。つまり本来の面目(悟り)が露わになります。本来の面目とは、仏心であり自性清浄心であり、本来の自己そのものです。したがって、坐禅を修行することが、そのまま悟りです。すなわち修行と悟りは一つのものです。これがお釈迦さまの教であり、仏教といいます。

 悟りを実践することが修行です。お釈迦さまは29歳の時にご出家され、35歳でお悟りになり、それから80歳でお亡くなりになられるまでの45年間はご修行の日々でした。仏道修行とは悟りを実践することをいいます。悟りの実践、そのぶれない心が平常心です。それで修行のことを平常心是道といいます。そして仏道修行を実践している日常が日々是好日です。ご家庭でもできますから、日常生活において坐禅を修行しましょう。混沌とした世情だから、時流に流されることなく生きぬきたいものです。
   
 この法は、人人の分上に豊かにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし、はなてばてにみてり、一多のきわならんや、かたればくちにみつ、縦横きわまりなし。  正法眼蔵・弁道話
 
 
     曹洞宗        

 お釈迦さまは菩提樹のもとで坐禅をして、おさとりを開かれた
 ただひたすらに坐ることが教えの基本です(只管打坐)
   
 お釈迦さまは
 この世の真理をあるがままに悟られて仏陀「仏」となられた
 おさとりになられた真理・教えが「法」です
 「仏」と「法」に帰依して修行する集まりが「僧」です

 日常生活において
 「仏」「法」「僧」の三宝に帰依した信仰生活を尊び
 常にわがまま勝手な生き方を懺悔して
 身心を整え、自らの心を清めて
 自己の仏性(仏である本来の自己・真実人体)と
 仏心(慈悲心)を常によびさませておくことが大切です

 お釈迦さまの教えを中国から日本に伝えられたのが
 永平寺をお開きになられました道元禅師さまです
 道元禅師さまから四代目の、瑩山禅師さまが
 総持寺を開かれ、多くのお弟子を育成されて、
 全国に寺院が建てられ
 「曹洞宗」という教団が生まれました
 道元禅師さまを「高祖」とあがめ、
 瑩山禅師さまを「太祖」とおよびします


 曹洞宗はお釈迦さまより代々の祖師方が
 師匠から弟子へと相承
(うけつが)れた仏法です
 ご本尊はお釈迦さまです
 道元禅師さま、瑩山禅師さまの二人の祖師を「両祖大師」とよび
 お釈迦さまと二師を「一仏両祖」として信仰のまことをささげます

 曹洞宗は大本山が二つあります
 福井県にある永平寺と神奈川県にある総持寺です

 三仏忌
 4月 8日  お釈迦さまの誕生日(花まつり)
 12月 8日  おさとりの日(成道会)
 2月15日  お釈迦さまが亡くなられた日(涅槃会)
 両祖忌
 9月29日  道元禅師さま、瑩山禅師さまのご命日
                             
 
 
 お釈迦さま  大恩教主本師釈迦牟尼仏 
前566年
お釈迦さまは、ヒマラヤ山麓のカピラヴァストゥ(現ネパール)に都をおく
釈迦族のシュッドーダナ王(浄飯王)と王妃マーヤー(摩耶夫人)の子として
4月8日に誕生されました。
誕生の地はルンビニーと伝えられています。
父王は太子をシッダールタと名づけた、願望成就という意味ですが、生後7日目に
母マーヤーが急逝し、母の妹であるマハープラジャーパティーに育てられました。

19歳 ヤショーダラーを妃にむかえる。やがて妃とのあいだに一子ラフーラが生まれる。
29歳 王城を抜け出して一出家者となり、難行苦行の修行の旅をつづけることになる。
35歳 苦行を捨て、尼連禅河で身を清め、スジャータの供養する乳粥で体力を回復して、
12月8日、ブッダガヤの菩提樹の下で禅定、真理をさとって、仏陀となられた。
お悟りを開かれた「成道」後のシッダールタは
仏陀「仏」、世尊、釈尊、釈迦牟尼仏と尊称される。
お悟りになられた真理・教えのことを「法」という。
サルナートの鹿野苑で苦行を共にしてきた5人の修行者に最初に「法」を説かれる。
「初転法輪」という。
5人は法を聞いて法眼を得「仏」と「法」に帰依し修行する集まり「僧」が成立。
お釈迦さまは、大勢の僧と修行を共にしながら、
教え「法」を人々に伝えて、生涯伝道の旅を続けられた。
80歳 伝道の旅の途中、2月15日、クシナガラで入滅された。
お釈迦さまは沙羅双樹の間において入滅された、これを涅槃に入られたという。
 
  道元禅師さま  高祖承陽大師
1200年(正治2年) 京都で生誕、父は久我通親、母は藤原基房の三女、伊子
父を二歳にして、母を八歳にして亡くす
12歳 比叡山に入る
13歳 天台座主公円につき得度 修行
16歳 比叡山下りる、三井寺公胤を訪ねる
17歳 建仁寺明全和尚の室に入る(栄西禅師は二年前に亡くなる)
24歳 入宋の願い叶い、明全和尚とともに入宋 諸山遍歴
26歳 天童山で如浄禅師に相見 如浄禅師に参ず 大悟 (明全和尚入滅)
27歳 如浄禅師から嗣書を授かる 帰国 「普勧坐禅儀」をあらわし、只管打坐を説く
28歳 建仁寺明全和尚納骨
30歳 深草安養院へ 「弁道話」をあらわす、多くの人々が参集する
33歳 観音導利興聖宝林寺を開く
34歳 参禅学道の心得「学童用心集」をあらわす
36歳 興聖寺僧堂開堂
37歳 「典座教訓」をあらわす
(正法眼蔵の半分近い42巻が著され、多くの弟子が参じた)
43歳 波多野義重の請により越前へ
44歳 大仏寺造営を始める
46歳 大仏寺を永平寺と改称
47歳 鎌倉・北条時頼に招かれる
48歳 永平寺帰山
52歳 健康すぐれず
53歳 「八大人覚」をあらわす(23年の間に正法眼蔵95巻があらわされた)
54歳 永平寺を懐装禅師に託して病気治療のため上洛、高辻西洞院にて入滅 

[遺偈]  
五十四年、第一天を照らす
箇の脖跳(ぼっちょう)を打して大千を触破す
   咦 
渾身もとむるなし 
活きながら黄泉に陥つ


  瑩山禅師さま  太祖常済大師
1268年(文永五年)越前にて誕生 (道元禅師入寂の15年後)
父は了閑上座、母は懐観大姉と伝えられている
8歳 永平寺第三世徹通義介禅師について出家
13歳  懐装禅師に就き剃髪出家して菩薩戒を受け名を「紹瑾」と改める
18歳 宝慶寺に寂円禅師を訪ねる
19歳 東福寺の白雲慧暁禅師に臨済禅を行じ、比叡山で天台教学を学び、諸国遍歴
21歳 宝慶寺に寂円禅師に参じたのち永平寺に帰る
22歳 義介禅師について加賀の大乗寺に移る
27歳 義介禅師より印可証明  義介禅師の室に入り嗣法 四国の城満寺にて住職
28歳 永平寺第四世義演禅師のもと、受戒会を開き戒を授く
29歳 熊本の大慈寺に寒厳義尹禅師を訪ねる
31歳 大乗寺にもどる、「伝光録」提唱(説法)
34歳 大乗寺の住職となり多くの弟子を育てられる 「信心銘」提唱(説法)
41歳 義介禅師遷化
49歳 永光寺を開く 「坐禅用心記」をあらわす
54歳 総持寺を開く
56歳 五老峰を建立
57歳 総持寺住職を峨山禅師に譲り、永光寺に戻る「洞谷清規」(瑩山清規)をあらわす
58歳 遷化

[遺偈] 
自ら耕し、自ら種うる閑田地
幾たびか売り来たり買い去って新たなり
限りなき霊苗、種熟脱す
法堂上に鍬を挿しはさむ人を見る



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