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新しい私を生きる・・・・・人生これから・・・チェンジ! チャレンジ!
僧侶の道を志す人を、応援します・・・
出家しませんか・・・真実(仏法)を求めて、真実(仏道)に生きる
●僧侶の体験→出家得度→僧堂修行→住職資格修得→住職入寺
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泣いて笑って、笑って泣いて・・・
あたたかな心のふれあいを大切に
人生の最後を病院でむかえ、そして病院から移送される先は住み慣れた自宅でなく葬儀業者さんの斎場というのが多くなってきました。かっては地縁血縁によって執り行われてきた葬儀が近年は様変わりしました。それは地縁のみならず血縁までもがその結びつきの絆が弱くなり、葬儀業者さんにすべてを委託するようになってきたからでしょう。
心の絆を大切にして生きてきました、だからあたたかな心の通う葬儀をして欲しいと願う、これは人々の自然な気持ちでしょう。家族や肉親、親しき人との良好な関係を保ちながら、最後の時を安楽にむかえ、そして、仏教徒らしくあたたかな心のふれあいを大切にした葬儀であって欲しいと願う。お人柄がしのばれ、しかもご縁のあった方々との心の絆を大切にした、簡素であるけれども厳粛な、仏教徒らしい葬儀をしたいものです。
”おこないごと” として先祖代々に引き継がれてきた、正月、彼岸、お盆、仏事などの行事についても、村社会から都市へ・地縁血縁の結びつきの弱化は、家から個へ、ライフスタイルの変化、意識の多様化等々により近年は様変わりしてきました。
けれども伝承行事、先祖祀り、仏教儀礼などの持つ意味をあらためて知ることによって、現代生活の中でどのように適合させればいいのか、自分流の思いも込めて、あたたかな心のふれあうものに、生き生きとした幸せの実感がともなう行事として仏事をつとめたいものです。
葬儀や、先祖祀り、仏教儀礼について、どのように対応すればよいでしょうか、僧侶もそして仏教徒もともに手を携えて、私たちの心で手で、先人の思いを受け継いで、あたたかな心のふれあいをキーワードにして、再考しましょう。
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人生を百倍楽しく生きるために
今、お戒名を お受けになりませんか
お戒名とは
お戒名とは、お釈迦様さまの教えにより、
ほんとうの自己(仏)に目覚めて、
より良き人生を歩もうとする、仏教帰依者が授かる名です。
人の本来の生き方を守ることを誓い〈授戒〉、
お釈迦様の教えをよりどころに生きようとする人が、仏弟子です。
仏弟子となり、授かる名前がお戒名です、
本来、亡くなった後にいただくものではありません。
人生の転機に、心機一転、新たなるスタートを
還暦をむかえて、新しい人生のご出発に、
今、仏弟子となり お戒名を お受けになりませんか。
お戒名を授かった日から新しい人生の出発です、
仏さまの教えを燈明として、新しい私を生きましょう、
世のため人のためにつくす菩薩として、喜びに生きましょう。
人生を百倍楽しく生きるために、
今、お戒名を お受けになりませんか・・・
〈 授戒 三帰戒・三聚浄戒・十重禁戒について 〉
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増刷しました
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死別、その悲しみを乗り越えて・・・・
葬儀~中陰~百箇日・・新しい自分に変えていく
卒哭
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· 一日一話が、生き方を、変える!
定価1500円 ご希望のお方は当寺へ 送料180円
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死別の悲しみを越えて
大切な人を失って、どうすれば死別の悲しみを越えて、生きる希望と、生きる喜びを見出せるでしょうか。悲嘆からどのようにすれば日常を取り戻せるのか、心の安らぎを得ることができるでしょうか。最近、人々は宗教心を無くして人の死に向きあう心の余裕と、悲しみから立ち直る力が弱くなってきたようです。
「卒哭」とは、泣くのをやめるということですが、「生き方を、変える」ということでしょう。人の死はいつでもだれもが経験することです。死を見つめるとは生きることを思うことです。この本の100の話を読み終えれば、悩み苦しみのない生き方が見えてくるでしょう。この本が悲嘆からの歩みの一助になれば幸いです。
生き方を、変える
葬儀の日から百箇日まで毎日一話ずつ読んでください。あるいは、葬儀から満中陰の間に何度も繰り返し読んでいただき、ご自分をチェンジしてください。自分が変わらなければ前途はひらけてこない。過去を引きずって、過去に執着すれば、今がなくなる。未来はすぐに今になり、今はすぐに過去になる。過去にこだわると未来が見えません。
感性と向上心を高め、この世の真理を求め続けることに楽しみを見いだそうとするならば、生きている究極の喜びを感じることができるでしょう。つらく悲しい日々の中にこそ、楽しいことを見つけましょう。今まで気づかなかったことがあるはずです
神応寺住職 安達瑞光 合掌
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神応寺報「鐘の音」を
さしあげます
ご希望の方はご住所、お名前を
ご連絡くだされば、お送りします(無料)
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お釈迦様は足下の砂の一つかみをもって、人身得ること難しと、
そしてさらに砂をまた一つまみして、仏法にあうことはさらにまれなりと、
この身、今生において度せずんば、いずれのところにか、この身を度せんと、
今、幸せな人生を送らなければ、生まれてきた甲斐がない、
自分自身である仏の御命を生かせと教えられました。
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